先週末、北アルプスの立山へ行きました。

 

 標高2450mの室堂でバスを降りると、雲は多いものの、風はさわやか。

 

 

 上画像は、浄土山(左)と室堂山(右)。

 

 

 広い室堂平の向うに見えるのは、山頂部が雲で隠れていますが、立山です。

 

 私は、地形の中では火山、歴史の中では登山史や文学史が好き。

 

 というわけで、今日は、室堂周辺の火山地形や文学を話題にしてみたいと思います。

 

 国土地理院のウェブサイト「日本の典型地形について」によれば、室堂平は「溶岩台地」。

 

 また、地質調査所『立山地域の地質』(2000年)によれば、立山本体が基盤岩である花崗岩で構成されるのに対し、室堂周辺の「玉殿溶岩」はデイサイトで、「火砕成溶岩」ということになるようです。

 

 

 さて、室堂から10分ほど歩くと、みくりが池(ミクリガ池)が見えてきました。

 

 国土地理院のウェブサイト「日本の典型地形について」によれば、「火口湖」。

 地質調査所『立山地域の地質』(2000年)も、「爆裂火口」としています。

 

 かつては、これだけの火口をつくるだけの激しい水蒸気爆発があったのでしょうが、現在のみくりが池は、何やら神秘的な雰囲気。

 池面に、「逆さ富士」ならぬ「逆さ立山」が映っています。

 

 

 さて、みくりが池から15分ほど歩くと、地獄谷が見えてきました。

 

 国土地理院のウェブサイト「日本の典型地形について」、地質調査所『立山地域の地質』(2000年)とも、「爆裂火口」としています。

 

 

 噴気が上がり、硫化水素でしょうか、腐卵臭がしていました。

 

 「長久之年」(1040~1044)に記されたという「大日本国法華経験記」の「第百廿四 越中国立山の女人」*を見ると、

 

 かの山に地獄の原ありて、遥に広き山谷の中に、百千の出湯あり。(略)その地獄の原の谷の末に大きなる滝あり。高さ数百丈、勝妙の滝と名づく。白き布を張るがごとし。昔より伝へ言はく、日本国の人、罪を造れば、多く堕ちて立山の地獄にあり、云々といふ。

 

 『今昔物語集』の巻第十四の「修行僧 至越中立山会少女語 第七」**に、

 

 立山ト云フ所有り。昔ヨリ彼ノ山ニ地獄有ト云ヒ伝へタリ(略)昔ヨリ伝へ云フ様、「日本国ノ人、罪ヲ造テ、多ク此ノ立山ノ地獄ニ堕ツ」ト云ヘリ。

 

と記され、他にも同物語の巻十四に「越中国書生妻、死堕立山地獄語 第八」、巻十七にも「堕越中立山地獄女、蒙地藏助語 第二十七」がありますから、既に平安末期には、立山地獄の説話は都人に知られていたとのだろうと思います。

 

 時代が下って、謡曲の「善知鳥」***にも、

 

 われ此立山に来てみれば、目のあたりなる地獄の有様、見ても恐れぬ人の心は、鬼神よりなを恐ろしや、

 

と謡われています。

 

 ただ残念なことに、2012年から地獄谷内の歩道は通行止め****。

 

 私もやがて堕ちるであろうその地獄の有様を、目のあたりに見ることはできませんでした。

 

*『日本思想大系7 往生伝 法華験記』(岩波書店、1974年)

 

**『新日本古典文学大系35 今昔物語集 三』(岩波書店、1993年) 

 

***『新日本古典文学大系57 謡曲百番』(岩波書店、1997年)

 

****気象庁「弥陀ヶ原の噴火警戒レベル」(2019年5月)