先日、今年の初詣も兼ねて(というにはやや遅かったのですが)、甚目寺へ行きました。
上図は、1923年鐵道補入の二十万分一帝國圖「名古屋」。
新川橋の西詰で美濃街道と分かれ、西進する津島街道(上街道)が、甚目寺村で屈曲しています。
この屈曲している角にあるのが村名の由来ともなった、甚目寺です。
上画像は、『尾張名所圖會』前編巻七(片野東四郎、1880年)の挿圖「甚目寺」*。
東から来た津島街道(上街道)が、甚目寺東門の門前で、南に左折していきます。
上画像は、現在の東門。
1634年の建立で、国の重要文化財だそうです。
続けては、同圖會より挿圖「其二」*。
津島街道(上街道)は、甚目寺の東南角を右折、「二王門」の前を、西の津島方面へ向かっていきます。
上画像は、現在の「仁王門」、やはり国の重要文化財です。
ところで上の挿圖「其二」を見ると、門前から南に伸びる通りの両側には、塔頭が軒を連ね、正面には「南大門」も小さく描かれています。
上画像は、仁王門の門前、西南角の道標。
「右 つしまみち」
ここを西進するのが「つしまみち」、つまり津島街道(上街道)で
「左 さ屋まじまみち」
南に左折すると「まじま」を経由し、佐屋路(下街道)に出ることができます。
なお、「馬嶋(まじま)」については、2015年4月19日のこのブログ「本居春庭」をご覧ください。
上図は1906年修正の二十万分一図「名古屋」。
上(北)を東西に走るのが津島街道(上街道)で、下(南)は佐屋路(下街道)。
千音寺近くの馬嶋に、「明眼院」があります。
(次回に続く)
*国立国会図書館デジタルコレクション