先日、三岐鉄道の丹生川駅に行きました。

 

 三岐鉄道株式会社が、富田~東藤原間の運輸営業を開始したのは、1931(昭和6)年7月23日*。

 

 

 当時の丹生川駅の所在地は、三重縣員辨郡丹生川村大字久下*です。

 

 上図は、昭和二十年部分修正測図・同二十四年応急修正の五万図「桑名」。

 地図記号の「〇」、丹生川村役場の南西に、三岐鉄道「にゆうがわ」駅があります。

 


 ところで、三岐鉄道の特徴は、旅客+貨物輸送を行っていること。

 

  「有価証券報告書 第124期」(2009年6月提出)**で、鉄道事業営業収入を見ると、旅客の513百万円に対し、貨物は465百万円。

 

 また、同報告書によれば、三岐鉄道の発行済株式の10.15%を所有する筆頭株主は、太平洋セメント(株)。

 

 同社の藤原工場を出発した貨物は、東藤原駅から三岐鉄道に入り富田駅へ、さらにJR関西線を経由し太平洋セメントの四日市出荷センターに向かうのですが、真鍋裕司「四日市周辺の貨物線」***によると、JR線上では「ここが最後」のセメント列車ということになるようです。

 

 

 では、今日の本題の丹生川駅はと言うと、かつては「伊勢電氣鐡道鹽濱」着の貸切扱で、栗石及び砂利を発送していた****のですが、現在は旅客のみ。

 

 私が駅近くで、踏切待ちをしている間にも、ED45型電気機関車が重連で牽引する貨物列車が、通過していきました。

 

 

 しかし、現在の丹生川駅は、別の意味で、貨物鉄道とつながりがあって、

 

 

それは、かつての側線や貨物ホームを使用した、日本で唯一の「貨物鉄道博物館」があること。

 

 

 次回は、その「貨物鉄道博物館」の展示収蔵車輛の画像を、ご覧いただこうかと思っています。 

 

 もしよろしければ、またお付き合いください。 

 

 

*大蔵省印刷局『官報』第1375號(1931年7月30日)

 

**「投資関係がわかる有報速報

 

***『鉄道ピクトリアル』NO.845(2011年3月)

 

****『官報』第1627號(1932年6月4日)