昨日は、地下鉄桜通線丸の内駅の北にある東照宮と那古野神社だったので、今日の話題は同駅の東にある「桜天神社」です。
江戸時代には「桜天満宮」と呼ばれていました。
上画像は、『尾張名所図会』巻一より「櫻天満宮」*。
櫻天満宮 小櫻町本町西へ入南側にあり。織田備後守信秀つねに天満宮を信仰し、或時京都北野へ参詣ありけるが、
櫻天満宮を創建したのは織田信秀であり、
神木に櫻の大樹ありし故、櫻天満宮と稱す(略)彼櫻樹は、萬治三年正月の大火に焼失して、今は其名のみ残れり
櫻の神木に由来する名称だったのが、万治三(1660)年に焼失し、その名のみ残ったようです。
ところで上画像を見ると、右に社殿、左に鐘楼が描かれています。
鐘楼 萬治四年三月より、官命を奉じて、晝夜十二時に此鐘をつきて町中に告げ知らしむ。故に時の鐘と稱す。
上画像は「時分鐘」。
江戸時代の「時の鐘」を模したものだそうです。
なお、櫻天満宮は、現地の案内板によれば、明治の「神仏分離令」に際し、「菅原神社」と改称。
神社北側の通りも「菅原通」と呼ばれていたそうですが、1937年名古屋駅まで延伸された際に、一般公募で「桜通」と改称**。
神社の名称も、戦後「桜天神社」に変わりました。
東・南・西の三方をビルに囲まれた狭小な敷地ながら、菅原道真公を祀る天神様。
私も子どもの学業成就を祈願し、手を合わせてきました。
*大日本名所図会刊行会(1919年)
**名古屋都市センター『ニュースレター』VOl.108(2017年10月)