みなさんは、もう初詣に行かれましたでしょうか。

 

 今日と明日は、名古屋市営地下鉄丸の内駅近くの神社の画像をご覧いただこうと思っています。

 

 

 一つ目は東照宮。

 

 『尾張名所図会』巻一(1844年)*に、

 

 東照宮御宮 御郭内の三の丸に御鎮座。國祖源敬公、大僧正天海を請待し給ひ、元和五年九月十七日、此御宮を創建し給ひて

 

と書かれているので、「源敬公」こと尾張徳川家初代藩主の義直が、大僧正天海を請待し、元和五(1619)年に創建した宮ということになります。   

 

 

 上地図は「元文三年名古屋圖」**。

 

 東照宮の祭神は徳川家康で、当時は城郭内の三の丸に鎮座していました。

 

 

 しかし、名古屋東照宮のウェブページ「由緒」によると、1872(明治五)年、旧藩校明倫堂の跡地に遷座し、さらに、1945年、社殿は戦災により焼失。

 

 

 現在の本殿は、1651年に建立された藩祖義直の正室の霊廟を移築したものだそうです。

 

 

 続けては、東照宮の東隣に鎮座する「那古野神社」(上画像)。

 

 江戸時代は「亀尾天王社」と呼ばれていました。

 

 『尾張名所圖會』巻一*に、

 

 亀尾天王社 御宮の東隣に鎮座

 

とあるので、上地図でいうと、亀尾天王社が「天王」、御宮が「東照宮」なのであり、この東西の位置関係は現在も同じということになります。

 

 

 上画像は、『尾張名所圖會』の挿圖「亀尾天王社」*。

 

 御城擁護の鎮守、府下の氏神といはひ祭れり小児の髪置・袴着をはじめ、詣人常に絶ゆる事なし。

 

とあるので、当時は、多くの参詣人で賑わったのだろうと思います。 

 

 

 上画像は、皇国敬神会『全国有名神社御写真帖』(1922年)***より「縣社 那古野神社」。

 

 亀尾天王社は明治に入り「須佐之男社」となり、さらに1899年、「那古野神社」と改称****。

 また、1876年、西隣の東照宮とともに現在地に遷座しました****。

 

 しかし、戦災で焼失。現在の社殿は、戦後の再建だそうです。

 

 

* 大日本名所図会刊行会(1919年)

 

**名古屋市役所『名古屋市史 地図』(1915年)

 

***国立国会図書館デジタルコレクション

 

****長尾盛之助『名古屋案内』(名古屋案内発行所、1925年)