先日、滋賀県竜王町の鏡山へ行きました。

 

 国道八号線を走り、道の駅竜王かがみの里に駐車。

 

 歩道橋を渡って、まずは、鏡神社に向かいます。

 

 

 鳥居をくぐると

 

 

正面に拝殿があり、

 

 

その奥に、本殿がありました。

 

 三間社流造りで、南北朝時代の建築、国の重要文化財だそうです。

 

 さて、道中の安全を祈願した後、国道八号線を東北東へ。

 交通量が多くて、雰囲気としては今一つなのですが、この区間は実は旧中山道。

 

 六十九次の宿場町ではないものの、「鏡宿(かがみのしゅく)」と呼ばれていました。

 秋里籬島『木曾路名所図会』(1805年)にも、

 鏡宿 むかしは驛なりしが、今は馬次なし。旅舎多し

と紹介があります。

 

 

 道端には「旅篭 枡屋」や、

 



「本陣跡」との看板がありました。 

 

 

 ところで、上画像は、現地で見つけた石碑「源義経宿泊の館跡」。

 

 この「鏡宿」には、源義経に関する伝説*があって、先ほどの『木曽路名所図会』(1805年)は、

 

 牛若丸投宿家 鏡宿左方にあり。(略)むかし牛若丸東へ下り給ひし時、こゝに止宿し給ふ。

 

と書いています。

 

 

 上画像は、同図会の挿圖「鏡山」。

 

 中央上が「鏡山」で、右下の街村が「鏡宿」なのでしょうが、その中に「牛若丸一宿家」との文字が見えます。


 この伝説の出典は、おそらくは「平治物語 下」の「牛若奥州下りの事」**。

 

 承安四年三月三日のあかつき 鞍馬寺をぞ出てける。(略)

 其日、鏡の宿に着て、夜半ばかりに、手づから髪をとりあげて、日来、武勇せんとて懐に持たりける小刀をさし、つねにざれて着ける烏帽子、取出して着てけり。(略)源九郎義経候ぞかし

 

 史実かどうかはともかくとして、鞍馬寺を出た牛若丸が、烏帽子親なく、みづから元服、源九郎義経を名乗ったのは、この「鏡の宿」ということになるようです。 

 

 話を元に戻して、次の信号で、国道八号線を右折。

 

 「鏡山」バス停を過ぎ、「鏡登山口」バス停のところを再び右折すると、林道に入ります。 

 

 

 積水樹脂滋賀工場の西をフェンス沿いに南に進むと、車止めがあって、「鏡山ハイキングコース 大谷池ルート 1650m」との道標がありました。

                                 (次回に続く)

 

*興味をお持ちの方は、竜王町観光協会のウェブサイト「鏡の宿 義経元服ものがたり」はどうでしょうか。この物語についての解説があって、面白く読めました。

 

**『新日本古典文学大系43 保元物語 平治物語 承久記』(岩波書店、1992年)