先日、亀山市歴史博物館経由で関宿に行ってきました。

 

 

 歴史博物館に立ち寄った理由は二つあって、一つは亀山宿と関宿についての予備知識を得ること、もう一つは同館で開催中の「田中稲藏家資料調査速報展」を見ること。

 

 関町新所の「旧田中家住宅」は、関宿を代表する町家で、市の有形文化財。

 

 

 その田中家に伝存する約8000点の資料は、平成27~29年度の三年間で調査中であり、速報展はその中間報告ということでした。

 

 注目は約900点という典籍。

 大黒屋光太夫関係の初出とみられる写本もあったということで、所蔵資料の全容解明と、本格的な企画展示が待たれるところです。

 

 さて、次は、その「旧田中家」がある関宿へ。

 

 

 東西に長い宿駅の、東に入口にあたるのが「東追分」。

 

 『東海道名所図会』巻二(1797年)に

 

 参宮道 驛東の入口にあり京師及び關西より伊勢参宮の輩これより赴く山田外宮まで十四里鳥居神燈標石あり直道は東海道なり 

 

とありますから、東西に直進するのが東海道であり、鳥居をくぐって南に向かうのが「参宮道」ということになります。

 

 ただ、日永の追分で東海道から分かれる、もう一つの「参宮道」と区別するため、こちらの方は「別道」、「別街道」と呼ばれることもあったようで、

 

 

 同図会の挿画も、「太神宮別道」*と書いています。

 

 この挿画で、興味深いのは、現在は鳥居の左(東)にしかない「神燈」が、鳥居の右(西)にもあり、また、そのさらに左、道の両側に一里塚があること。

 

 

 上画像は、伊勢参宮名所図会』(1797年)の挿画「関の追分 東海道 参宮道」*ですが、やはり道の両側に一里塚があり、また鳥居の両側に常夜燈が描かれています。

 

 

 画像が続いてしまいますが、「隷書版」「丸清版」の歌川広重「東海道五十三次 関」**を見ても、一里塚があり、鳥居の両側に常夜燈という並びです。

 

 

 現在は、常夜燈は鳥居左の一基のみ。

 塚も現存せず、常夜燈の後方に「一里塚趾」と書かれた標石が立っていました。

 

 

 さて、ここから関宿に入るのですが、旧東海道の宿場町の中でも、比較的よく町家が残り、国の伝統的建造物群保存地区。

 

 東から木崎、中町、新所の「関三町」があり、

 

 

木崎には「御馳走場」や、

 

 

かつての芸妓置店「開雲楼」の建物があります。

 

 次に、関宿の中心にあたるのが「中町」で、

 

 

上画像は旅籠だった「鶴屋」。幕末には脇本陣だったようです。

 

 

 左の白い建物はかつての旅籠「玉屋」で、こちらは市の有形文化財。

 

 

 薬局もレトロな雰囲気で、

 

 

 足袋屋さんにいたっては、そのまま大正か昭和戦前の映画ロケで使えそう。

 

 さらに進むと、「新所」に入るのですが、

 

 

 国の重要文化財に指定されている「地蔵院」本堂と、

 

 

 愛染堂があります。

 

 

 ここは、旧東海道の名所の一つで、『東海道名所図会』巻二にも、「關 地蔵院」*という挿画がありました。

 

 さらに進んだところで、先述の「旧田中家住宅」を見学。

 地蔵院まで戻って、関西線の関駅に向かったのですが、

 

 

上画像は、地蔵院の角にあった道標。

 

 いつの頃に建てられたものかわかりませんが、「停車場道」とは、これまたレトロな感じです。

 

*国立国会図書館デジタルコレクション

 

**ウィキメディア・コモンズ