上図は、1929年鐡道補入の五万分一地形図「鳥羽」。

 朝熊峠の東、朝熊岳の南東斜面に、金剛証寺があります。

 

 

 上画像は、『伊勢参宮名所図會』(1797年)の挿画「朝熊金剛證寺」の左画面。

 

 右下にあるのが「二王門」で、本文に次のような説明書きがあります。

 

 二王門 往古此門に勝峯山の額あり。(略)近年は朝熊嶽と改む。

 

 「勝峯山」というのは、同寺の山号であり、「朝熊嶽」というのは同寺が鎮座する山の名称です。

 

 

 ただ、小川稠吉『度会郡誌』(1897年)によると、客殿・方丈・庫裏・回廊・仁王門は、1803(享和三)年の火災で焼失。

 

 1979年に再建された現在の仁王門の額は、「仁王門」です(上画像)。

 

 さて、その仁王門の正面にあるのが、「本堂」(魔尼殿)。

 

 

 平成元~6年に行われた解体修理工事の際の発掘調査によれば、創建は平安時代末頃*。

 

 現在の建物は1609年、姫路城主だった池田輝政が再建したもので、国の重要文化財*だそうです。

 

 

 続けて、上画像は、『伊勢参宮名所図會』の挿画「朝熊金剛證寺」の右画面。

 

 仁王門を入ってすぐを右折すると、北に伸びる参道があります

 

 

 名所図会の当時は正面に方丈、右手に庫裏があったようですが、現在は、門の右手が書院と事務所、

 

 

 左手は「開山堂」です。

 

 金剛証寺は、明徳三年(1392年)に鎌倉建長寺の仏地禅師東岳文昱が再興した*ということで、禅師の命日にあたる6月29日が、この寺の開山忌だそうです。

 

 

 さて、境内を一周したところで、「八大龍王 経ヶ峯参詣道入口」の看板のある冠木門に戻りました。

 

 下山は、内宮に向かう宇治岳道です。   (次回に続く)

 

*『週刊朝日百科 日本の国宝83』(1998年)