先日、久しぶりに遠出し、岡山県真庭市に行ってきました。

 

 真庭市は、2005年、真庭郡の久世町や勝山町、湯原町など8町村+上房郡北房町の計9町村が合併して誕生した自治体。

 面積が828k㎡と、岡山県内で最も広いそうです。

 

 その大きな真庭市の中で、見どころは?と地元の知人に聞いたところ、旧勝山町の酒蔵と神庭の滝、旧湯原町の砂湯の3つ!! 

 

 ということで、姫新線中国勝山駅からスタートすることになりました。


 

 私が思うに、姫新線の特徴の一つは、東から美作土井、美作江井、美作大崎、美作千代、美作追分、美作落合と、旧国名を冠した駅名が多いということ。 

 ただし「勝山」は、例外的に「中国」です。

 

 また、「勝山」と言えば、福井県のえちぜん鉄道「勝山駅」は1914年の開業、千葉県の内房線「安房勝山駅」が17年なのですが、それに対して「中国勝山駅」は25年3月*。

 「作備線」の終着駅として開業しました。 

 

 ▲ 図1「二十万分一帝国圖「高梁」(1930年、拡大)

 

 図1は、1930年鐡道補入・同年11月発行の「二十万分一帝國圖 高梁」。

 この図の当時、中国勝山駅は、「作備東線」の終着駅です。

 

 ▲図2「五万分一地形圖 勝山(1932年、拡大) 

 

 それに対して、図2は、1932年要部修正測図の五万分一地形図「勝山」。

 

 旭川と新庄川の合流点に勝山町があり、旭川左岸に「作備線」の「ちゅうごくかつやま」駅があるのですが、図1で終着駅であった中国勝山駅が、図2では途中駅になっています。

 

 勝山から先、岩山までの区間が開業したのは、1930年12月**のこと。

 また、この延伸により、作備東線は、再び「作備線」となりました**。

 

 それはともかく、駅の観光案内所で「城下町勝山ガイドマップ」をもらって、まずは、旭川左岸を酒蔵に向かって、歩いてみることにしました。

 

 

 途中、旭川にかかる中橋の東詰に「高瀬舟船場跡」という石碑がありました。

 

 土井作治・定兼学『街道の日本史40 吉備と山陽道』(吉川弘文館、2004年)を見てみると、

 

 高田村(勝山町)は津山藩領時代から在町で、旭川最上流高瀬舟の河岸場があった。

 

ということなので、昔はこの勝山まで、高瀬舟が入っていたということになります。

 

 石碑脇の石段を下りてみると、石畳がありました。

 

 

 また、同書は続けて、

 

 幕府領をへて、明和元(1764)年から勝山藩主三浦氏領になると町場化が進み、勝山八町となった。

 

と書いています。

 旧村名の「高田」を現在の「勝山」に改めたのも、その三浦氏だったそうです。

 

 勝山は、三浦氏二万三千石の城下町。

 

 街並み保存地区を歩いていたら、「二万三千石」というお饅頭を売る和菓子屋さんがありました。

 

*『官報』第3763号(1925年3月11日)

 

**『官報』第1180号(1930年12月3日)

 

(次回に続く)