先日、三重県津市に行った際、「津市体育館」に寄ってみました。
やや老朽化している点を除けば、全国のどこにでもありそうな、ありふれた雰囲気の体育館なのですが、実は一時期、全国にその名を知られた存在でした。
中に入って銘板を見ると、工事件名は「津市体育館新築工事」、建築主が「津市長 角永清」、そして完成は「昭和40年11月」。
同年3月、同市長に対して提起された住民訴訟、いわゆる「津地鎮祭訴訟」の舞台です。
日比野勤「神道式地鎮祭と政教分離の原則―津地鎮祭事件―」*によれば、事実の概要は次の通り。
昭和40年1月14日、三重県津市の主催により、市体育館の起工式が神職主宰のもとで神式に則る地鎮祭として挙行され、市は神官への謝礼・供物代金などの費用7663円を公金より支出した。
1967年、第一審の津地裁判決は、「宗教的行事というより習俗的行事と表現した方が適切であろう」**と合憲。
1971年の第二審、名古屋高裁は「古来一般の社会的儀礼とか単なる宗教的行事又は宗教類似の行為とは、到底いいえない」**と違憲判決。
そして、1977年の最高裁大法廷は、「社会の一般的慣習に従った儀礼を行うという専ら世俗的なものと認められ、(略) 憲法二十条三項により禁止される宗教的活動にはあたらないと解するのが相当である」**との合憲判決でした。
私のこのブログは、サブタイトル「地図と歴史・文学のブログ」なのですが、どこまでが歴史なのか、迷うことがあります。
例えば、三重県内の裁判というと、江川紹子『名張毒ブドウ酒殺人事件』(岩波現代文庫、2011年)や映画「約束」(2013年)などで知られる、「名張毒ぶどう酒事件」がありますが、昨年11月に第十次再審請求が申し立てられ、名古屋高裁で係争中ということで、こちらは、現在進行形です。
同じ県内では、四大公害裁判の一つ「四日市公害訴訟」も有名なのでしょうが、四日市公害は現在・過去・未来の、どれに分類すべきものか、判断に迷います。
ちなみに、四日市市立の展示施設の名称は「四日市公害と環境未来館」です。
津地鎮祭訴訟についても、様々な捉え方があるのでしょうが、とりあえずは一度、現場に行ってみようかと足を運んでみました。
*『別冊ジュリスト 憲法判例百選Ⅰ 第五版』(有斐閣、2007年)
**京都産業大学法学部のウェブサイト「憲法学習用基本判決集」より「津地鎮祭訴訟」