先日、旧東海道石薬師宿を少し歩いてみました。
上画像は、広重の浮世絵「東海道五拾三次之内 石薬師」*。
石薬師寺を東から見た構図で、左奥の門が石薬師寺、そこから右手奥へ、家並みの間を抜けていくのが旧東海道です**。
続けて、左画像は、『東海道名所図会』(1797年)の挿画「石薬師寺」**。
旧東海道に面した門を入ると、左手に「つりがね」があり、その奥に「庫裏」、右手に「本堂」との文字が見えます。
同図会の本文によれば、
高富山瑠璃光院石薬師寺 石薬師駅の西にあり、真言宗。本堂石仏薬師如来 長七尺五寸(以下略)
と言うことなので、おそらくは本尊の石仏薬師如来から「石薬師」、そして石薬師寺があることから、宿駅名も「石薬師」になったのだろうと思います。
下画像は、現在の「石薬師寺」の門前。
向かって左の門柱には、「高富山瑠璃光院石薬師密寺」、右には「東寺真言宗」、と書かれています。
従って、高野山真言宗ではなく、また真言宗大覚寺派や泉涌寺派などでもない、京都の東寺(教王護国寺)の真言宗ということになります。
それはともなく、門をくぐって、右に折れると、正面に本堂が見えました(上画像)。
三重県教育委員会のウェブサイト「文化財データベース」のページ「石薬師寺 薬師堂 附棟札二枚 」によると、1629(寛永6)年の建築で、県の有形文化財だそうです。
蝉時雨 石薬師寺は 広重の 画に見るがごと みどり深しも
佐佐木信綱は、地元石薬師出身の歌人。
明日は、当地にある「佐佐木信綱記念館」を見学した際の画像や感想やらで、何か書いてみたいと思います。
もしよければ、またお付き合い下さい。
*三重県立博物館のウェブサイト「けんぱくのすすめ」より、「広重 東海道五十三次之内 石薬師 」
**国立国会図書館デジタルコレクション