昨年、絵葉書を二つ買いました。

 

絵葉書「水澤村名所」


  一つは、「水澤村信用購賣組合發行」の絵葉書「水澤村名所」(上画像)。

 

 

 水沢村信用購買組合の設立許可は、1916年10月28日*です。

 

 

 また、葉書の罫線を見てみると二分の一なので1918年以降、「郵便はかき」と濁点がないので、1932年以前**の発行ということになろうかと思います。

 

 

 水澤村は、現四日市市の南西部。

 

 

 1957年に四日市市と合併しました。

二万図「水澤村」より
 

 上図は、1892年測図の二万分一地形図「水澤村」(縮小)。

 

 中央の地図記号「○」が水澤村役場で、ここには現在は四日市市立水沢小学校があります。

 

 

 左下に見えている川は、鈴鹿川支流の内部川で、対岸は鈴鹿郡椿村。

 

 ここには、伊勢国一宮とされる「椿大神社」があります。

 

 一方、三重郡水澤村にあるのは足見田神社。地図でいうと、左上の鳥居マークです。

 

 

 谷川健一『日本の地名』(岩波新書、1997年)に、

 

 

 現在の四日市市の水沢付近が三重の村としては妥当ではないかと考えられる。足見田神社のアシミタはヤマトタケルが足を痛めたことに通じる(略)アシミタはアシイタの訛転であり、アシイタは水銀の採掘に従事する労働者が罹る病を意味していると思われるのである。

 

 

と登場します。

 

 

 したがって、もしかしたら「三重」という県名にも関係する、歴史ある村かもしれないのですが、今日のタイトルは絵葉書、話を元に戻したいと思います。

 

 

(水澤名所)紅渓 

 

 

 上画像は、絵葉書「水澤村名所」より「紅渓」。


 現在「もみじ谷」と呼ばれているあたりでしょうか。

 昨年の11月末に通りかかった時には「もみじ祭り」が開かれていました。


 続けて、もう一枚。同絵葉書より「茶園」です。 

 

(水澤名所)茶園
 

 水沢は茶の産地。茶畑や、大きな茶摘かごが写っています。

 

 東海農政局のウェブページ「三重県四日市市のかぶせ茶 」を見ると、1844年、水沢町常願寺の中川教宏住職が茶園を造成し、茶の栽培を奨励したのを機に、当地域での茶生産が発展したそうです。

 

 

 常願寺は、上図でいうと、水沢村役場の道を挟んで南の地図記号「卍」です。

 

 

 (次回に続く)

 

  

 

 *三重県編『三重縣蚕業組合要覧. 大正九年三月』(1920年、国立国会図書館近代デジタルライブラリー)

 

 

**絵葉書資料館のウェブページ「絵葉書の年代推定方法」