先日、多度山へ行ってきました。
今回のスタートは養老鉄道「桑名駅」。
養老鉄道株式会社のウェブページ「会社案内 」によれば、営業路線は桑名駅~揖斐駅間 57.5km、設立は2007(平成19)年2月です。
といっても、実は百年を越える歴史をもつ路線。養老鉄道株式会社も、二代目です。
養老~池野間が軽便鉄道として営業を開始したのは、1913(大正3)年7月*。
池野~揖斐間及び養老~桑名間が開業したのは、1919(大正8)年4月**のことでした。
ちなみに大阪朝日新聞東海版1919年4月24日付けによれば、多度~桑名間の距離は五哩四分、三等賃金は十五銭だったようです。
左は、吉田初三郎『養老電鉄沿線名所圖繪』(1928年)の表紙ですが、「養老鉄道」ではなく、「養老電鉄」であることに、ご留意ください。
実は、この養老線、その後の展開が複雑で、
1922年6月、揖斐川電気株式会社が、養老鉄道を合併***、
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1927年***(1928年4月****)、揖斐桑名間の鉄道を養老電気鉄道株式会社に譲渡
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1929年4月、伊勢電気鉄道が、養老電気鉄道を合併****
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1936年5月、揖斐桑名間の鉄道を、養老電鉄株式会社に譲渡****
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1940年8月、参宮急行電鉄株式会社が、養老電鉄を合併****
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1941年3月、大阪電気軌道と参宮急行電鉄が合併し、関西急行鐡道株式会社成立****
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1944年6月、南海鉄道と合併し、近畿日本鉄道株式会社成立*****
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2007年10月、近鉄の100%子会社の養老鉄道株式会社に、事業形態を移行******
従って、現在の社名に至るまでに、計8回もの変更があったということになります。
発行年は不明ですが、伊勢電鉄ですから、1929~1936年の間のもの、ということになろうかと思います。
さて、次週のテーマは、この図の左下で、多度神社と多度山。
もしよろしければ、また、お付き合い下さい。
*『官報 第313号』(1913年8月14日)
**『官報 第2024号』(1919年5月5日)
***イビデン株式会社のウェブページ「百年の歩み 沿革 」
****三木理史「近畿日本鉄道の形成-戦前の合併と戦後の統一-」、『鉄道ピクトリアル NO.727』(2003年1月号)
*****青木栄一「近畿日本鉄道のあゆみ〔戦後編〕」、『鉄道ピクトリアル NO.569』(1992年12月)
******近畿日本鉄道株式会社のウェブページ「近鉄ストーリー 平成19~22年 」