先日、遠出をして、あいの丘文化公園にある、甲賀市土山歴史民俗資料館 に行ってきました。
土山町文化の回廊整備事業(あいの丘文化ゾーン整備計画)によるもので、図書館との複合施設。「脇本陣を現代風にアレンジした」建物だそうです。
正面の第一展示室が常設展で、手前の第二展示室で特別・企画展示を開催するという構造。
今年秋の企画展は、「東海道土山宿・水口宿 」(左下画像)です。
土山には、鈴鹿峠もあるし、田村神社もあるし、国宝大般若経を所蔵する太平寺・常明寺もあるのですが、宿場町ということに話を絞ると、特徴は、本陣の建物が現存し、その「宿帳」が残っているということでしょうか。
甲賀市の公式サイトによれば、「土山宿本陣宿帳 」は、
近世前期から明治初年までほとんど欠けることなく揃っていて珍しく、土山宿だけでなく全国的にも貴重な歴史資料であるといえます。
今回の企画展にも、17点伝来しているというその宿帳のうち、幕末のものが展示されていました。
展示ケースをのぞいて見ると、「勝阿波守様」という文字が。どうやら勝海舟が泊まっているようです。
さらに展示解説シートによれば、「薩摩中将娘子様」の名も。これは、第13代将軍家定に嫁いだ篤姫のことだそうです。
次に目についたのは、木櫛に飴に、柄杓。
木櫛は、秋里籬島『東海道名所図会』(1797年)に、「名物は指櫛」とあるように、土山の名物。
また同図会は、土山から鈴鹿峠に向かう「蟹坂」について、「名物とて丸き飴を売る家多し」と書いていますから、飴は「蟹坂」の名物ということになるでしょうか。
展示解説シートには、「かにが坂飴」とありました。
では、「柄杓」は何か?、というと、これは土山の名物というわけではなく、おかげ参りのシンボル。
鎌田道隆『お伊勢参り』(中公新書、2013年)は、文政のおかげまいりについて、
このおかげまいりの特徴のひとつに、参宮者のほとんどが柄杓を持っていたことがあげられ、これが参宮風俗となった。柄杓を持つ参宮者は、明和のおかげまいりの末期に一部見られたというが、文政では参宮のシンボルとされた。
と書いていますから、文政のものかもしれません。
さて、最後に、もう一つ目がいったのは、旧東海道関係の展示では定番ともいうべき、歌川広重の「東海道五拾三次」。
この企画展にも、保永堂版の「土山」・副題「春之雨」が展示されていました。
展示解説シートには、
「坂は日照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」と鈴鹿馬子唄に唄われたように、土山の象徴とされている雨をモチーフに描かれています。
『近江名所図会』(1815年)も、鈴鹿馬子唄を引用した上で、「雨の土山 」の挿絵ですから、当時は土山と言えば雨、というイメージがあったのかもしれません。
ただ、この「鈴鹿馬子唄」の歌詞「あいの土山雨が降る」は、意味がよくわかりません。
甲賀市役所公式サイト「あいの土山の「あい」の意味について」 を見ても、
「あいの土山」の「あいの」には諸説あり、いまだに定説がありません。
という状況のようです。
しかし、この歴史民俗資料館や図書館があるのは、「あいの丘文化公園」。
隣には、「あいの土山文化ホール」があり、11月2日には「あいの土山マラソン」。道の駅も「あいの土山」です。
土山のイメージも、 「雨の土山」から「あいの土山」に、変わっていくかもしれません。
「土山町北土山」という注記の西の図書館の地図記号は、土山図書館。
中央から右下にかけて長く伸びるのが、旧東海道沿いの街村「土山」で、「道の駅あいの土山は、その左下にあります。
*ウィキメディアコモンズ