(前回より続く)
軽便鉄道によって終点に当っている北安曇郡の大町まで行こうと思いついたのだ。山を見るにもよく、ことに其処には親しい友人もいるので、急に逢いたくもなったのであった。
若山牧水『みなかみ紀行』(岩波文庫)*より、「信濃の晩秋」の一節です。
1919年11月、若山牧水は、松本から信濃鐡道に乗って、大町を訪れました。彼が逢いたくなった友人の名は中村柊花です
寒さと心細さに小さくなっている間に午後6時何分、漸く大町に着いた。
大町は信濃鉄道の終点です。上画像は、昭和5年及同6年修正測図の五万分一地形図「信濃池田」ですが、中央上の停車場に「しなのおほまち」との注記が見えます。
ただ、この地図では、「至かみしろ」ですが、これは省線の大糸南線。また同線の開業は1929(昭和4)年ですから、若山牧水が旅した当時には存在しません。
友人中村柊花はこの町の郡役所に勤めている(略)とにかく彼に逢つておきたいと思ったので停車場とは反対の位置に町を突き抜けた所にあるという郡役所までまず行ってみる事に決めた。
大町の停車場は、地図で見ての通り、南の町はずれです。一方、郡役所は逆方向、「反対の位置に町を突き抜けた所」にあったようです。
郡制が廃止となったのは1923(大正11)年、郡役所が廃止になるのは1926(大正15)年です。
さて、郡役所を訪ねてはみたものの当の友人はおらず、彼は宿屋に入ります。
宿は対山館といった。思い出せばかねてから折々聞いていたその名である。アルプスに登る人で、というより広く登山に興味をもつ人でこの名を知らぬ人は少なかろう位に思われるまでその道の人のために有名な宿なのだ。
牧水がいうように、対山館は、戦前の登山者にとっては有名な存在。
茨木猪之吉の「旅の若山牧水」**にも、“大町対山館はおなじみで幸い百瀬慎太郎君を誘って”、と登場しますから、もしかしたら、茨木猪之吉経由で、牧水もその名を聞いていたのかもしれません。
岩波文庫版『みなかみ紀行』*p.151の「牧水朗吟の図」は、茨木の画。山岳画家と知られる茨木は、小諸時代から牧水と交際が深かった人物です。
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**茨木猪之吉『山旅の素描』(三省堂、1940年)