これは私個人の意見。。。
『登校拒否が出来る子ども達』は『家族』・『安心出来る場所』・『信頼関係』が出来ているからだと思っている。
反抗期の時期と重なったりするので、暴言とかも酷かったりしますよね。
それは子どもが『親』を信頼しているから出来る事なんですよ。
『僕・私には居場所がある』。登校拒否をしている最中はそんな事は一切感じないかもしれません。
でも、いずれ気がつくと思う筈。。。
『この時期があったから、今の自分がいるんだ』と。
私にはそれが無かった。
どんなにイジメに遭っていても、私が安心出来る『家族』・『家』がなかった。
下手にウロウロして、親に怒られるのが余計にストレスを感じていました。
なので、小学校時代は通いましたね。中学2年で当時のイジメの加害者と同じクラスになり、やはりイジメのターゲットに。。。
1日だけお願いして休ませて貰いました。
因みに、小学校時代の担任の先生はイジメの事を知っていて、特に気にかけてくれていました。
加害者が誰なのかを二者面談で母親に話をしていたそうです。
中学生になり、両親は二年生のクラス替え表の名前を見て嫌な予感はしていたそうです。
加害者はイジメのターゲットころころとかえます。
その事が三者面談で明るみになってしまった。というのがイジメの悪化に繋がりました。。。
1日休んだだけで、それ以降は通いました。
加害者を見たのは高校二年生の時、町内会のお祭りで、会った時は凄く睨みつけられましたよ
。それ以降は、全く会っていません。
余りいい噂は聞いていないので。。。
1日休ませてもらったけど、長年の『居場所が無い』せいか、どうしたらいいのかわからなかった。
高校時代も実は『退学したい』と何度も考えた事が有りました。
私自身が決めて入った学校では無かった事、私の偏差値で入れて、自転車で行ける距離と母親が勝手に決めてそれに従うしかなかった。
本当は行きたい学校はあった。
当時は特殊な『保母育成科』が入っていた学校でした。
今は『普通科』のみで、その県でも上位の学校になってしまいましたが(笑)
。私がなりたかったのは『保母さん』。それを話したけど、母親から『遠すぎ・電車通学はダメ
そもそもうりぴたには保母は無理
』とこれは私の心をボロボロにしてくれました。それもあったのかな。。。
反抗期も殆ど無かった私。。。
彼氏が出来てから週1日だけが安心する時間でした。
その後は家出のオンパレード

。自分の居場所を探していました。。。
別に探しもしなければ、連絡もしてこない。結局は『おじいちゃんとおばあちゃんが心配しているから一度帰ってらっしゃい。』と祖父母を使う。
祖父が亡くなってからもあまり帰らない私に今度は『おばあちゃんが心配しているから。。。』になる。
両親は私の事はそんなに心配されていない。
家族関係に溝がある家程、その子どもは『家族に会いたい。』という感情が欠落してしまいます。
実際に帰っても私にはストレスしか有りませんでした。
『登校拒否』が出来るのは『親にSOSを送っている』事と『信用しているんだよ。』の2つを出せるほどの信頼関係が成り立っている家庭だからこそ出来ると思います。
実は、『弟』の例がありました。
これは『弟』個人の事なので、アメンバー記事にします。