「私説桶狭間」178回目です。こちらです。(←文字クリックで移動します)

 

『信長の大戦略 桶狭間の戦いと想定外の創出(ディスロケーション)』(里文出版)という本があります。この中で著者の小林正信氏は、タイトルにもある通り信長は桶狭間の戦いで今川家に想定外を創出しようとしたと書かれています。

つまりは今川勢を驚かせようとした、ということです。

「すなわち想定外の局面に直面し、敵がパニック状態になると、敗走にも競争原理が働いてしまうのです。」

文中にはこのようなことが書かれています。小林氏が書かれるディスロケーションの内容は本文と違いますが、この考え方には強く賛同しました。

 

今川軍に想定外の事態を創出してパニック状態を引き起こす。

そのための具体策が水野兄弟の今川への内通と、土壇場での裏切りでした。この効果を最大限に引き出すため、織田軍は今川本陣のある幕山の麓まで進軍し、雨上がりと共に攻撃を開始したのだと考えます。

 

空晴るゝを御覧じ、信長鎗をおつ取つて、大音声を上げて、すは、かゝれ~~と仰せられ、黒煙立てゝ懸かるを見て、水をまくるが如く、後ろへくはつと崩れたり。

 

信長は雨が上がった瞬間を見計らい、勢いよく槍をつかみ取ると、大音声で「すは、かかれかかれ」と仰られ、(織田軍が)黒煙を立てて掛かってくるのを見て、(今川軍は)水が勢いよく撒かれるように後ろへくわっと崩れた。

『信長公記』の記述は上のようになっています。

つまり、通常序盤で行われるという矢合わせや鉄砲戦がなく、織田軍は信長の号令ですぐに走り出し、織田軍が突撃すると今川軍もすぐに陣形が崩れたと書かれているのです。

今川軍がすぐにパニックになるほどの何かがあったということです。

 

ここでまた新たな疑問が起こります。

なぜ太田牛一は『信長公記』の中でその“何か”を書かなかったのか。

ここまで書いているのだから、牛一は何が起こったかを知っていたと思われます。

しかし肝心のことは書いていません。

なぜなのか?

新たな謎として提示したいと思います。