「私説桶狭間」162回目です。こちらです。(←文字クリックで移動します)

 

「おんな城主 直虎」桶狭間が終わりましたね。

あまり映像で見たことがない鷲津・丸根攻略戦が見られるかと思っていたのですが、織田軍が襲いかかるシーンだけで終わってしまい、ちょっと残念。

でも物語の流れで行くと、そんなに詳しくやる必要がなかったのでしょうね。

 

さて、本文は熱田神宮での織田軍です。

多分信長としては分かりやすい集合場所として熱田神宮にしただけで、それ以上何もなかったと思います。実際『信長公記』でも熱田のくだりは、上知我麻神社の前から東を見ると鷲津・丸根の方向から煙が上がっていたというエピソードだけが記されています。

実際そこであった印象的なことはそれくらいだったのでしょう。

 

しかし他の文献での熱田神宮のエピソードはいろいろなものがあります。

本文で使用した社殿の奥から草摺の音がしたという挿話は小瀬甫庵の『信長記』から拝借したものです。

ちなみにこのエピソード、『改正三河風土記』では実は大宮司が鳴らしていたという暴露が書かれています。つまりはヤラセということですが、これで妙な信憑性も出てきているともいえます。だから逆にどうも胡散臭い。

他にも甫庵『信長記』では信長が神宮を出ようとすると、白鷺2羽が飛んできて信長の旗の先を飛んでいったという奇瑞が書かれています。そしてこれも『改正三河風土記』では話が増幅し、信長がこれは熱田大明神応護の奇瑞だと兵たちに言うという描写になります。

 

また、本文で使った永楽銭のエピソードは伝承として残っています。しかもこれも本文にある通り実は永楽銭を糊でくっつけ、どちらが出ても表になるようにしていたという暴露もセットになっているようです。

 

これらの“奇瑞”のエピソード、どれも実際にあったかというと、眉唾っぽいとは思います。

ではなぜ本文で採用したのか。

1つには桶狭間の戦いにおいて信長は様々なことを考え、実行したということを表現したかったというのがあります。信長という人物、目的のためならこんなケレンミのあることもやったように思えるのです。特に強大な敵である今川軍との戦いに臨むこの時は、兵の気分を高揚させる手段を考えていたのではないかな、と思いました。

まあ小説というある程度の創作(ウソ⁈)が通じる手段を使っていることもあり、書いてみたかった、というのが一番のところかもしれません。