「私説桶狭間」106回目です。こちらです。(←文字クリックで移動します)


永禄3年最初の夜が明けました。
本文で書きましたが、旧暦ですので今の暦に換算すると2月7日ということになります。
お正月を新春ともいいますが、旧暦だとこの言葉がしっくりときますね。
年間で一番寒いのは1月下旬から2月の上旬にかけての時期で、2月7日というと緩やかに平年気温が上昇する日にあたります。
一番寒い時期から徐々に気温が上がり始める頃合いがお正月ということになるのですね。


さて、本文で書いているように、旧暦の時代の正月は現代以上に大きな意味がありました。
すべての人の年齢が1つ上がるということです。
この時代の人々は生まれた時すでに1歳と数えられました。だから天文11年(1542)12月26日生まれといわれている徳川家康は、たったの4日後に2歳になってしまいます。なぜ4日後かというと、天文11年の12月は29日までだからです。
そうそう、旧暦の月末は大体29日か30日です。これ、月齢で数えているからです。


で、厄年ですが、これが実はよく分かりません。
平安時代から記録が残っているとのこと。例えば源氏物語では『厄年』という言葉は出ませんが、「慎ませたまふべき御年」という表現が出てくるそうです。
起源は陰陽道ともいわれているようですが、どういう成り立ちだったのかがよく分かりません。
例えば資料によって年齢が違っていることや、年齢の根拠があいまいなことなど、宗教や地域などでその風習や考え方は違っていたようです。


厄という概念が一般的になっていったのは江戸時代からだそうです。
暦の普及とともに厄年も一般に知られるようになり、庶民が厄除けやお参りなどをしていたそうです。
現在も神社は厄払い、お寺は厄除けといい、数え年で年齢を数える数少ない風習の1つになっていますね。
男性42歳、女性33歳の大厄などは、社会的にも身体的にも人生の転機の時期だという捉え方が一般的だと思えます。
ただ今川義元が修行した臨済宗や日本で一番信者が多いといわれる浄土真宗などでは現代でも『厄』という概念はないそうです。知らなかった。