「私説桶狭間」次回からは永禄2年冬が始まります。

そんなわけで今回はこれまでをあらすじを記しておきたいと思います。

最初っから読むのは面倒くさいよ、という方にはこれを読めば次回から大丈夫、かな。(ちょっとリフレイン)


永禄2年2月、京に上洛した織田信長は室町将軍足利義輝に拝謁し、奈良、堺へと足を伸ばします。

一方、駿府の今川義元は信長の策略と知りながら織田と内通しているという罪で山口教継・教吉親子を駿府まで呼び寄せ、誅殺します。

このことにより父子の居城である鳴海城は今川家臣の岡部元信が城代となり、大高城を含めた今川家臣での守りを固めます。


この時期、信長と敵対していた岩倉城が落城します。このことにより信長は一族内の内紛を治め、実質的な織田家の棟梁として尾張を統治することになります。

義元は三河の統治を松平元康にゆだねることにし、家督を譲っている嫡男の氏真に今川家の印を引き継ぎます。

信長にとって次の標的は尾張に常駐している今川軍であり、具体的には鳴海城・大高城でした。側室吉乃との会話にヒントを得た信長は、鳴海・大高両城の周りに付城を造ります。

付城は鳴海を囲む丹下・善照寺、大高を囲む鷲津・丸根、そして間をつなぐ中島砦が造られました。信長は簗田政綱に指示し、尾張と三河の国境にある緒川城の水野信元に向山砦の普請と守備を依頼します。他に氷上砦は千秋季忠、正光寺砦は佐々政次がその任に就くことになります。ともに大高城の南を囲む付城でした。

特に向山砦は大高城から100m程の近距離に造るため、夜の闇にまぎれて織田軍と水野勢がいきなり現れ一晩で柵を作りました。

信長はもう一つの手を打ちます。

簗田政綱の部下である丹羽兵蔵や小者の藤吉郎たちを駿府に向かわせ、駿府で人質生活を続けている松平元康に面会させます。

藤吉郎の機転で元康に会うことが出来た兵蔵は、信長からの伝言と書状を渡します。

彼らが無事に尾張に戻ったことで、松平元康を利用することができるかもしれないと信長は考えます。

以上、これまでのストーリーでした。信長と義元の抗争は将棋やカードゲームのようにそれぞれのターンで手を打っているようなイメージです。

となると次は今川義元のターン。どう手を打ってくるか。そして彼の生い立ちなども挿入していきたいと考えています。

これからもよろしくお願いいたします。