「私説桶狭間」74回目です。こちらです。(←文字クリックで移動します)
何度か書いていることですが、歴史は日々変わっています。
正確には史実や解釈は様々な発見や研究によって塗り替えられているということですね。
例えば私の学生時代、農耕が始まったのは弥生時代(およそ2千4・5百年前から)と習っていましたが、今は縄文時代までさかのぼり、現状最古の水田は約3千年前だといわれています。
また「いいくに作ろう鎌倉幕府」で覚えた1192年鎌倉幕府の成立という解釈も今は揺れているそうです。調べると1180年から1192年あたりまでで様々な説があるそうです。
なぜそういうことになったのかというと、源頼朝の征夷大将軍任命=幕府の成立と考えられていたのが、幕府を「将軍の政府」ととらえるか「軍事政権」とみるのかで解釈が変わるということだそうです。う~ん、むずかしい(いろんな意味で)。
広辞苑で幕府を引くと、『武家政治の政庁。また、武家政権そのものをいう。』と書かれていました。
ちなみに江戸幕府の成立は1603年、徳川家康の征夷大将軍任命の時でいいみたいです。
で、やっと本文です。何を書きたいのか、というと、読売オンライン7月1日の記事にこういうのがあったのです。
信長の父「三河を支配」…中京大教授が新説
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20140630-OYT8T50273.html
要は天文16年(1547年)頃、織田信秀が岡崎の松平氏を一時的に支配したという新説が発表されたそうです。
記事にもあるようにこの説だと徳川家康が幼少の頃、金銭で織田に売られたという史実が疑わしくなるとのこと。
前回のお話しの中にこの史実を入れていたため、どうしようかと思いましたが、全体への影響はほぼ無いため、そのまま変えずに掲載しました。
ただ確かに家康を売った戸田康光の行動は理解できません。1千貫は現在で1億5千万円位の価値だそうですが、この後すぐに戸田の居城田原城を今川軍に攻められ、息子ともども討死しています。そりゃそうだろうと思うのです。
また前年戸田方の吉田城を今川・松平軍が攻略したという記録があるのですが、前年服従した人間が松平の嫡男を人質として送致するという仕事に就かせるのにも疑問がわきます。そんな信頼性ないと思うのですが。
そういう意味では織田の岡崎支配は、信憑性があるように思えます。