「私説桶狭間」44回目です。こちらです。
印鑑の歴史はかなり古く、ウイキで調べたら、紀元前5千年頃の古代メソポタミアまで遡るそうです。約7千年前ということですね。
日本最初の印鑑は有名な『漢倭奴国王』の金印。福岡県志賀島で発見されたということが試験によく出る(今もでしょうか?)あれです。
なんでも西暦52年の「後漢書」の記述に相当するものだとか。後漢の初代皇帝である光武帝が時の日本(奴国)の征服者に渡したものと考えられているそうです。三国志の百年ほど前のことです。
時が下がって戦国時代。戦国武将で最初に印鑑を使ったのは義元の父である今川氏親だったようです。
印影が残っていますが、難しめの迷路のような印で、なんて書いてあるかが分かりません。
実際、研究者でも分からないらしく、何かの記号じゃないの?という人もいるそうです。
義元の印は本編で書いている通りですが、それぞれの使い方の違いなどは研究書を読みながら想像したものです。つまりは、間違っていたらスミマセン。
北条家は個人というより家の印が残っていて、角印の頭に虎が寝そべった絵があります。
印の文字は『祿寿応穏(ろくじゅおうおん)』で、世の中の平和を願った文字だそうです。
敵対していた上杉謙信は角印の上に獅子が刻まれ、『地帝妙』の3文字。
地は勝軍地蔵、帝は帝釈天、妙は妙見菩薩を表しています。どれも戦に関係した仏様であるところが如何にも。旗印に使っていた『毘』毘沙門天がないのは、自分は化身だと思っていたからでしょうか?
信玄の武田家は、龍の絵の印判が有名です。龍朱印と呼ばれるそうです。
甲斐の虎と呼ばれた信玄が龍で、越後の龍と呼ばれた謙信が獅子、相模の獅子と呼ばれた北条氏康が虎の印を使っていたというのは面白いですね。意地悪な試験に出そうだ。
織田信長は有名な印があります。『天下布武』の印です。
この印判、美濃を攻略した永禄10年から使用したもので、同時期に稲葉山城のある井ノ口という地名を『岐阜』に改めています。
古代中国の周は、“岐山”の麓から起こり、中国全土を平定した、という故事から命名したもので、やはり天下統一への意志を標榜したものだと考えられます。
最後に、徳川家康。最初に使った印判は『福徳』。善行およびそれによって得る福利のことだそうです。
次に『無悔無損(むげむそん)』過ちがなければ誰も傷つかない、という意で、これは秀吉の命で関東に領地を変えられ、江戸を開いた時から使っているものだそうです。
そして『忠恕(ちゅうじょ)』これは論語から引用したもので、まごころと思いやりとがあること。これは豊臣秀吉の死後から使い始めたもので、天下人になりますよ、という意味合いを漂わせていたように思えます。
同時期、家康は『源家康』という印も使っています。
天下の政治は源平が代わる代わる取るという、いわゆる源平交代思想に基づくもので、信長は平氏だったのです。(秀吉は関白になったので、この流れに含まれませんでした)
家康という人は、教訓的な言葉を使いながら、何か腹の中に一物もっている雰囲気ですよね。