「私説桶狭間」35回目です。こちらです。


前回ですが、今川義元といえばコレでしょ、と、半ば思い込みのような感じで蹴鞠のシーンから始めています。

確かに今川義元にせよ息子の氏真にせよ、蹴鞠の名手だったという話が伝わっています。

二人とも駿河に下向してきた蹴鞠宗家の飛鳥井雅綱に師事したそうです。


氏真の蹴鞠に関しては、駿河を追われ、巡り巡って徳川家康の庇護を受けた時、時の権力者である織田信長に乞われ、蹴鞠を披露したという話が有名です。
この話、親の仇の前でそんな屈辱的なことをしたという理由で、氏真にとってかなりマイナスイメージなエピソードですが、実際当時の感覚はどうだったのか、ということを含めて興味があります。
ある意味存分に生きたのではないかとも思えるのはこの人、江戸時代初期の慶長19年(1615年)まで生きてるんです。大坂冬の陣が終わり、夏の陣となる丁度その間のことです。
享年77歳。長生きだったんです。

他にも氏真は、言継卿記で有名な山科言継から蹴鞠をプレゼントされたという記録が残っています。

この時代お金も仕事もない京都から、駿河などへ避難するようにやってきた公家さんが多く、今川家はもちろん、有力な戦国大名は一流の文化に触れることができたんですね。

例えば義元の父氏親は連歌師の宗長と懇意だったと伝わっているし、義元も和歌の冷泉為和と師弟関係を結んでいたそうです。


今回の後半に登場する武田信玄や上杉謙信も教養は豊かだったそうです。

信玄は漢詩などで優秀な作品を残していますし、謙信も和歌が得意でその上達筆で、源氏物語などの恋愛物が愛読書だったと伝えられています。

また、琵琶をひく趣味もあったとのこと。


戦国大名は結構教養人だったんですね。