特にいつもとかわらない生活をしていましたが、アップが遅れていました。
今年の夏は本を読もうとしたり、家庭教師をしようとしたりと考えていましたが、
どうやら何もできずに終わりそうです。私は、よ?
コンディションとコントローラブルの違いの話や、
特に生きる価値があるとぼくが思う人種(下で抵触)の話がしたかったのですが
それは今後にまわすとして、
★★★★★★★★★★
今日は夏休みということで、「夏の終わり症候群」についての話です。
★★★★★★★★★★
これは私の造語ですが、つまり2学期の最初の日が一番あぶないという例のあれです。
これが巷間に言われるようになったのはここ10年ですが、そうだよこういうのあるよ!と興奮したのを覚えています。
それと同時になかなか簡単ではない、かと思えばあっさりほどける・・・。(だから安心してほしいです)
サザエさん症候群のようなもので、それについては歌手のROLLYさんなど多くの方が切実に
その被害を訴えています。
ここ数日、自らを害したいとは敢えて思うことがなかった私なので、参考になるかどうかわかりませんが、
30年以上狩られる側として生きてきた者の端くれとして同じことを感じていただろうとは思います。
まず特徴としてそれは
「脳や身体の反応として現れる」にもかかわらず
「認識や思いかたで軽量化できる」ものであるがしかし
「その方途がつかめない・ループから抜けられない」状態が常態化しており
「こういう相談ができそうな人がいない」ものですから
「結句何事もなく繰り返される」という認識でまた
「不可避性(普遍性)が重さに輪をかける」というものでした。めちゃくちゃやん。
①つまりこれは誰に相談すればいいのだろう。
こういう悩みにすっとちゃんとした答えを出してくれる人はめったにいません。
・・ということは!
なかなか相談できる人がいない問題を解く能力、というのは、
大人になってからとても役に立つということです。
なぜかというとそういう問題を解いてる人が少ないからです。おお!
・・ということは?え??
普段からそういう問題を解いてる人は勝ちといえば勝ちです。
つまり、いま生き残ること、それだけが勝手に解決になるのです。
出世しやすい仕事ができる人や上の覚えのいい人・クラスで目立つ人の多くは、
この問題をスルーしているので、組織や集団の壊滅的な危険を解決できないからです。
なぜでしょう?
見える問題を解決することはできても、いま問題ではないけど実は問題だったり、
そういう問題に気づいたり解いたりすることができるのは大事だよな~っておもいます。
普通に生きてれば大人になっても使わない、だけど、知らないところで世界を救いかねない能力。
難しい言葉を使えば「構築主義の盲点」なんですが、その話はお互いもうちょっと年を取ってから致しましょう。
もちろん要望があれば説明させていただきます。
わたしがおもうに、生きやすい生き方と生きにくい生き方があるんですね。
私は後者でした。
それをめざせとは言えません、つらいですからね。
だけどなぜかいつのまにかそうなっている、それはおそらくいま生きやすく生きることに不満があるんですね。
ただそうなってる。そんなひとがいる。そしてそれは今後の「社会」に必要な能力だとおもいます。
(だけどきっついなぁと思ったら、断然それにこだわらずに楽をするべきです。)
少数派だからです。
だれに相談すればよいか、ですが、
これはちゃんと哲学してる人、がいいと思います。
そしてなんだか文系で不器用そうで、
できれば体育会的にひとを馬鹿にしたりしない人、ですね。
「隣のクラスの他県から越してきたマイナーな漫画のファンの男の子」だったり
「まじめそうな静かな女の子」だったり
「うだつの上がらないおじいちゃん先生」だったり
「クラスで目立ってはいないし、勝ち負けにこだわらなさそうだけど、なんか頭よさそうな奴」
だったりします。もちろんその見た目でフェイクなのも多いです。
だから「滅多にいないけどどこかに必ずいる彼」を探すのは
とてもひつようで、たのしみで、おくのふかいことです。
そうしているうちに、自分がそういう人を見抜く能力を得たり、そういう人になっていることに
気づいていくのです。
なかなかそれはそれで面白いとおもいますよ。
「解決策①」だけでもうしわけないですが、ながくなったのでこのくらいで。
そんなわけで今日は先んじて夏に負けない手を打ってみました。
夏の映画でおすすめなのは、「サマータイムマシンブルース」ですね。
あしたもがんばるぞ、とおもうかたちで夏を終えたいものです。
では。
もっとくれ!ってひとのために、
「鎌倉図書館の伝説のツイート」というものがあるのを書いておきます。
↑こういうおとなに僕はなりたいです。
あとあと、FF7のリーブとか~、FF2のミンウとか~・・・(永遠に続く)