AMIは女性の店主が一人で切り盛りしている。僕が店を訪れた時は満席だったので外で待っていたのだが、店主の方は僕に気付くと外まで出てきて「お一人様ですか?あと5分くらいで空くと思うんでちょっと待ってくださいね」と笑顔で声をかけてくれた。数秒のこととは言え、満席の店内を離れてわざわざ声をかけに出てきてくれたことに感激した。
 
 一人で店をまわすのは大変だ。仕込み、調理、接客、会計、洗い物。営業が終わってからも掃除、精算、発注、足りない物があれば買い出しも行かなければならない。これを全て毎日一人でやり続けるのは本当に好きな仕事じゃないと至難の業だ。いや、本当に好きな仕事でも気力と体力が充実していなければ続けていくことは難しい。

 店から帰宅してからも新メニューの開発など他にもやらなければいけない仕事はたくさんあるだろうし、それを一人でこなすAMIの店主のバイタリティはすごいなと敬服する。きっと僕なら一人で全部やっていると料理のパフォーマンスも接客のパフォーマンスも落ちて、店の外で待っている人に笑顔で接客するなんて到底無理だと思う。

 AMIのカレーは店主の人柄を表すような優しい味で、スパイスも野菜のおいしさを引き立てるような使い方で野菜をたくさん食べることができるし、何より彩りが美しい。僕は体に良さそうな味だなと思いながら食べていたのだが、食べているうちに祖母の味に似ているなと思った。

 僕は高校2年から卒業までの2年間、母方の祖母と祖母の家で二人で暮らしていた。祖母が作ってくれる料理は野菜中心で、味付けも優しかった。食べ盛りだった僕はもっと濃い味の物が食べたいといつも思っていたのだが、体に良さそうな味だしなと思って残さず毎日食べていた。今思えば祖母も僕のことを思ってそういったメニューを作ってくれていたのかも知れない。ただ祖母はAMIの店主とは違い、料理の味と裏腹に強烈な個性の持ち主だった。

 僕の実家と祖母の家は京都の同じ田舎町で、歩いて10分ほどの距離だった。まわりは田んぼと山しかない辺鄙な場所で、通学路には『まむし注意』と書かれた看板があちこちに立てられていた。町にはスーパーマーケットが1軒だけあって、町民の生活を一手に担っていた。

 祖母はそのスーパーマーケットで有名人だった。外車なんて町ではほとんど見かけない中、祖母は左ハンドルのBMWを自ら運転してスーパーマーケットに乗り付けて買い物をしていた。冬場なんかは数百万円のミンクの毛皮のコートを羽織ってスーパーマーケットに行くので目立ち方が尋常ではなかった。

 祖母の家と僕の実家はほとんど同じタイプの木造の一軒家なのだが、家の中の雰囲気はまったく違っていた。祖母の家にはルノアールやモネ、モディリアーニなどの画家の作品のレプリカが金縁の豪勢な額に入れられて飾られていて、刺繍の入ったテーブルクロスが敷かれた6人掛けの大きなダイニングテーブルや見るからに高価なソファやロッキンチェアー、クイーンサイズのベッドが1階の居間に置かれていた。2階には祖母が「服の部屋」と呼ぶ一部屋丸ごと洋服でつぶした部屋もあった。祖母の暮らしぶりは我が家の質素な生活とかけ離れすぎていて、なぜこんなに祖母が金持ちなのか僕は幼い頃から疑問だった。

 母によると祖母がお金を持っているのは祖父の年金と傷痍軍人の手当てのおかげらしかった。母が幼い頃はごくごく一般的な生活を送っていたらしい。実際母は倹約家だし、祖母も日常の細々とした出費に関してはケチと言っても過言ではないくらいお金にこまかかった。

 祖母は祖父が亡くなってから犬を飼い出した。ハルという名前のコーギーで、とても愛嬌があって活発な犬だった。祖母はもちろん、僕も躾をしたり散歩に行ったり愛情を注いでかわいがっていた。そのハルが急に病気になった。食事を出しても食べなくなり、一日の大半を横になって過ごすようになり、最後は水も飲まなくなってしまった。

 ハルはこのまま死んでしまうんだろうと僕も祖母も感じてはいたが、僕は現実が受け入れられなかった。祖母はハルに「ハルちゃん、ごはん食べや、ごはん食べや」と細い泣きそうな声で話しかけていたが、ハルは舌を出して横たわったままで反応も返さなくなった。口元に水を近付けるとやっと少しペロペロするくらいで、エサは食べようともしなかった。すると祖母は僕に「お願いあんねんけど」と言い出した。

 僕は「何?」と聞くと「物置きにハルのまだ開けてないドッグフードあるから、それスーパーマーケットに返して来て」と言った。僕は耳を疑った。祖母が本当に悲しんでいるのはよくわかるし、ハルをかわいがっていたのを見てきているから余計に信じられなかった。戦争を乗り越えた人はこうなるんだ…と無理やり自分を納得させて、僕は物置きに向かった。

 こんなこともあった。僕が学校から帰宅すると、祖母は凄い剣幕で「お前は悪魔の眼をしてる」と突然言われた。全然意味がわからなかったので、僕は反抗的に「は?」と言ったら「あんた、おばあちゃんのここにあったお金盗んだやろ」とダイニングテーブルを指差して言った。それから盗んだ盗んでないの問答を繰り返していたら、祖母は警察を呼ぶと言って110番をした。

 警察が来て家中の指紋を調べた結果、外部からの侵入はないので身内の犯行と思われると警官が祖母に告げ、僕は一人パトカーに乗せられ警官に「家族間での事件は内々に処理できるから正直に言いなさい。今言えば逮捕しないから」と厳しく詰問された。僕は力なく「本当に盗んでません」と答えるのが精一杯だった。

 それから一週間ほど経った時、祖母が小声で「あの時のお金見つかったわ」と言ってきた。祖母は現金5万円を裸でテーブルの上に置いておくと僕が魔が差して盗むと思ったらしく、テーブルクロスの下に隠しておいたらしい。祖母はそれをすっかり忘れてしまっていて、たまたま掃除のタイミングでテーブルクロスをはがしたら下からお金が出てきたとのことだった。

 僕は「じゃ警察にあの時のお金見つかったってすぐ言わないと」と祖母に言ったら、「そんなん警察に言ったら、あそこのおばあさんボケて警察呼んだって近所の人に噂されるからやめとこ」と言われた。僕は「それやったら俺はずっと警察に疑われたままやんか」と訴えたが、祖母には聞き入れてもらえなかった。

 今となっては笑い話として話せるが、当時はなかなかきつい体験だった。

 先日母に聞いたのだが祖父が亡くなった時、祖母は62歳だったらしい。

 お通夜で「おじいちゃんが死んだら生きてる意味ない。私もすぐに死ぬ」と泣きじゃくりながら言っていた祖母。

 あれから29年の月日が経ったが、祖母はまだ元気だ。

 いつまでも元気でいてほしいと心から願ってやまない。