アラリヤランカは本格的なスリランカ料理屋で、メニューにはプレートに盛られたカレーのセット以外にもスリランカの朝食として親しまれているエッグホッパーやバナナの葉で包んだ蒸し料理など様々なスリランカ料理が載っていた。バナナの葉で包まれた料理を今まで食べたことがなかったので注文しようと思ったが、それを頼んでしまうと昼ごはんの予算オーバーになってしまうので諦めた。

 一人暮らしを始めた時はバナナにずいぶん助けられた。毎週一房スーパーで買ってきて毎日朝ごはんとして食べていた。安くて手軽なバナナは家計を支える強い味方だったのに、まさかバナナの葉を金銭的な理由で我慢しなければならない日が来るとは思いもしなかった。

 僕はバナナには特別な思い出がある。それは僕が中学3年の時に亡くなった母方の祖父との思い出だ。僕は祖父が大好きだったし、祖父にとっても僕は初孫だったのでずいぶんとかわいがってもらった。祖父はいつも僕を笑わせてくれたし、祖父といる時間はいつも楽しかった。今思えば祖父は僕が初めて会ったおもしろい人だった。

 僕が覚えている一番古い記憶は母親でも父親でもなく祖父との記憶だ。3歳の時に祖父と公園で遊んでいて、僕がおしっこをしたいと言って公園の側溝に立ちションをしていたら下にミミズがいた。すると祖父が「ミミズにションベンかけたらちんちんはれるで」と言った。僕は怖くなってミミズにおしっこがかからないように狙いを外した。これが僕の人生最初の記憶である。

 僕は幼稚園の頃からバナナが好きでよく食べていた。ある日、祖父と一緒にバナナを食べていたら祖父がバナナの皮を全部むいて実の一番下の黒いポツッとしたところを指差して「これカマキリの卵やで」と突然言った。僕はそれを聞いてからバナナの下の黒いところは食べなくなった。そして次の日から僕は幼稚園で「バナナの下の黒いとこはカマキリの卵やで」とみんなに教えてまわるようになった。

 ミミズにおしっこをかけたらちんちんがはれる話は小学生になった時にまわりの友人たちも知っていたので、これはいわゆる迷信というやつなんだなと幼心に理解したが、バナナの下の黒いところはカマキリの卵という話は幼稚園でも小学校でも誰も知らなかったし、祖父以外の誰からも聞いたことがなかった。昆虫図鑑で実際のカマキリの卵を初めて見た時、全然違うやんと思った。

 なぜ似ても似つかないバナナの下の黒いところを祖父はカマキリの卵だと言ったんだろうか。未だになぜ祖父がそんな意味不明で突拍子もないことを急に言い出したのかは謎のままだが、僕が42歳になってもまだ覚えているほどの強烈なセリフを放った祖父はやはりおもしろい人だったんだなと思う。

 祖父が亡くなる数ヶ月前、僕は一人で祖父の病室を訪れた。ベッドに横たわる祖父に「人間はいつか絶対に死ぬって決まってんのに何で生きてんの?」「死ぬって決まってんのに生きる意味あんの?」と尋ねた。すると祖父は「幸せになるためや」と答えた。「人間はみんな幸せになるために生きてんねん」と教えてくれた。

 それから僕は毎日幸せになるために生きている。