気付けばもう16年以上、下北沢で配達のバイトをしている。酒の配達を5年、ピザの配達を8年、弁当の配達を3年。毎日のようにHONDAのジャイロという三輪のバイクに乗って配達ばかりしているので、たまに普通に生活している時間よりバイクに乗っている時間の方が長いんじゃないかと思う時がある。このままいくと僕はいつかケンタウロスのように上半身は人、下半身は三輪のバイクになってしまうんじゃないかと思って怖くなる。

 

 配達のバイトを続けている理由は単純で、バイト先を変えたとしても配達する物が変わるだけで仕事の内容はどこもほとんど同じだからだ。ピザの配達をしていた時期なんか、その事に気付いているからピザハットで働いているのに近くのピザーラとナポリの窯というピザ屋にも面接に行き、ピザの配達を3つかけもちしたりもした。

 

 ただピザ屋のかけもちはそれが裏目に出て、予想外にミスを連発した。それは仕事の内容がほとんど同じではなく全く同じだったからだ。ピザハットで配達しに行っているのに、お客さんに

「お待たせしました、ピザーラです」

と言ったり、ピザーラの配達で店を出発したのにお客さんにピザを届けた後ナポリの窯に帰ってしまったり、ナポリの窯に出勤しないといけないのにピザハットに出勤したり、自分が今どこの店の人間として働いているのか訳がわかならくなってしまった。しかも僕がかけもちしていたピザ屋は3店舗とも配達のエリアが一緒だったので、お客さんも混乱させてしまった。

 

 ピザハットだけで働いていた時には気付かなかったが、ピザを注文する一部のヘビーユーザーの中には近所のピザ屋を日替わりのローテーションで毎日注文するお客さんがいるのだ。僕はそのお客さんの所に月曜日ピザハットで、火曜日ピザーラで、水曜日ナポリの窯で3日連続で配達に行った事がある。そのお客さんは月曜日と火曜日は何もリアクションがなかったが、3日目の水曜日そのお客さんは僕の顔を見ると、目を丸くして僕の顔とピザの箱を交互に見返し、あわあわと口を動かし明らかに動揺しているのが見て取れた。きっと僕のことを配達用のクローン人間だと思ったに違いない。

 

 僕は長年下北沢を中心に配達してきた事によって下北沢近辺の脳内ストリートビューが異常に発達してしまった。そのせいで、下北沢のバーで飲んでいる時に隣の席の初対面の男性に話しかけられて、住んでいる場所の話題になったので

「どの辺に住んでるんですか?」

と聞いて

「あー、あの路地に入って右から2つ目の集合ポストにエヴァンゲリオンのシールが貼ってある茶色のマンションですね」

と住んでる場所をピンポイントで言い当ててしまって、ずいぶんと引かせてしまった事がある。もしこの相手が女性だったらとんだ恐怖体験だろう。

 

 ピザハットでバイトしていた時期に芸人の仕事で続けて何回かテレビに出た事があった。渋谷には吉本の劇場もあるので、劇場の近くを歩いていると

「あ、あの人この前テレビで見た」

という感じで顔を指されたりした。僕は今までそんな体験をした事がなかったので、テレビの力って凄いなと思いながら、恐縮して軽い会釈を返していた。下北沢でも同じ事があった。歩いていると正面から来た中年の男性に

「あ!」

と顔を指された。僕は、おいおいまたかよと思いながら、はにかんで会釈をして通り過ぎようとしたら、その人は僕に近付いてきて

「お前、ピザハットの奴だよな?」

と言った。一瞬でもはにかんだ自分が恥ずかしかった。

 

 北参道にはBLAKESというカレー屋がある。店主は、東京のカレーシーンに絶大な影響を及ぼしたと言われているGHEEという伝説のカレー屋のシェフだ。ラーメンで言う二郎系という呼び名のように、カレー界にはGHEE系と呼ばれるカレー屋が数多く存在している。調べれば調べるほどGHEEの凄さを知り、僕は訪問するのが怖くなった。店主はレジェンドと呼ばれるくらいの料理人だから、きっと無愛想で頑固で面倒臭い親父に違いないと思った。でも実際は拍子抜けするくらい気さくで優しい方だった。僕は改めて、何があっても調子に乗らないぞと心に決めた。