カーナピーナのテーブルには一輪の花が生けられている。

 

 僕がついたテーブルだけではなく、店内のテーブル全てに一輪ずつ丁寧に花が生けられている。腹を空かせてカレーを食べに来ただけなのに、僕はその花を見て心が温かくなるのを感じた。

 

 花を生けるのには手間がかかる。長持ちさせるために生ける前に水の中で茎を切ったり、花瓶の水も毎日取り替えなければならない。店内に飾るとなると花の状態にも日々目をこらさなければいけないし、枯れてしまえば新しい花をまた花屋に買いに行かなくてはならない。カレー屋なんだからカレーがおいしければ誰も文句は言わないし、テーブルに花がなくても誰も気にもしない。店の経営のことだけを合理的に考えれば、花にかかる費用と時間は必要のないものだ。それでも花を生けるのはなぜなんだろう。

 

 僕は昔これと同じような気持ちになったことがある。20年以上前の記憶だが鮮明に覚えている。それは大学に入学して1ヶ月が過ぎた頃のことだ。

 

 4月の大学のキャンパスはとにかく賑やかだった。入学直後の新入生を勧誘するために学内のサークルが総出で歓迎会を開き、様々な催しが行われ、キャンパスはサークルの勧誘で声をかける上級生と華のキャンパスライフを満喫しようと夢見る新入生でごった返していた。新入生は皆どのサークルが楽しそうか浮ついた表情で口々に話し、思い描くキャンパスライフを実現しようとしていた。

 

 僕はサークルを決めきれず、テニスサークルの歓迎会で仲良くなった同級生が入ると言った音楽サークルに何の縁もないのに一緒に入ることにした。僕はなんとなく楽しそうならそれでいいと思っていた。受験勉強からやっと解放されたし、大学の4年間はなんとなく東京で楽しく遊ぼうとしか考えていなかった。

 

 4月の喧騒から一月が経ちキャンパスの雰囲気もすっかり落ち着いたある日、僕はキャンパスの広場にあるベンチに座って同級生と最近買ったCDが良かったとかバイトを始めたとか、あそこの店員の女の子がかわいいだとかくだらない話をしていた。すると、大声で叫びながらキャンパスを走る人の姿が目に入った。

 

 彼は白いTシャツにゼッケンのような物を胸につけていて、そこには『1年リーダー志望』と書いてあった。髪型は角刈りだった。彼が大声を出して走って行った先には学生服を着たオールバックの先輩らしき人がいて、恐らく彼は何十mか先にその先輩を見つけたので、挨拶をするためにずいぶん手前からのどがちぎれんばかりの大声で叫び、その先輩らしき人物の元に走り寄って行ったのだ。

 

 角刈りのTシャツは深々と何度も頭を下げてオールバックの学生服に挨拶をしていた。僕はその状況が理解できなくて呆気に取られていた。そしたら隣に座っていた友人が「あれは応援団だ」と教えてくれた。僕はそのセリフを聞いて、より一層理解ができないと思った。

 

 あの角刈りの『1年リーダー志望』は同級生!? 楽しい大学生活がこれから始まるっていうのに、なんであんな時代錯誤も甚だしい超体育会系の応援団なんかに入った!? あんな角刈りにしたらオシャレもできないし、見せ物みたいに『1年リーダー志望』と書いたTシャツを着させられてかわいそうだと思った。先輩からの強引な勧誘を断れずに無理やり入部させられたに違いない、できることなら彼を助けてあげたいとも思った。しかし『1年リーダー志望』は彼だけではなく、その後もキャンパスで別の『1年リーダー志望』を何人か見かけた。僕は心の底から本当になんで応援団なんかに入るんだろう、バカな奴っているんだなと思った。

 

 それから僕は何度もキャンパスで応援団を見かけたが、いつの間にか彼らのことは気にもかけなくなり、遊び呆けていたら気付けば4年生になっていて、ろくに就職活動もしなかったせいで就職先も決まらず、働きたくないという理由と得意のなんとなく楽しそうという理由で来春から吉本興業の養成所に通うことを決めて、大学の卒業式を迎えた。僕は卒業式の祝辞で「あなたたちが21世紀最初の卒業生です」と言われても「へー、そうなんだー」くらいの感想しか言えない立派な大学生に仕上がっていた。

 

 卒業式の後には園遊会という卒業生だけの祝賀会があり、友人たちも参加するというので僕も参加することにした。園遊会ではお酒が振る舞われ、昔一度だけ話したことのある同級生や顔はわかるけど名前も知らない同級生たちを見ては「みんな明日から社会人かー」と浅い感慨にふけっていた。宴もたけなわとなったところで「それでは最後に、卒業する応援団部員による演舞です」とアナウンスが流れた。

 

 会場の奥の舞台には、学生服に身を包み、オールバックにばっちり髪型を決めた応援団がずらっと並んでいた。そして、聞いたことのあるあの張り裂けんばかりの大声で「フレ〜!フレ〜!!」と全力で叫びだした。

 

 僕はその時、初めて気が付いた。

 

 僕がずっとバカにしていた彼らは、ずっと僕らのことを応援してくれていたんだと。

 

 僕がずっとバカにしていた彼らは、ずっと僕のことを応援してくれていたんだ。 

 

 涙が止まらなかった。

 

 自分たちも今日一緒に卒業したのに、最後の最後の瞬間まで僕たちのために声を張り上げて必死に応援してくれる彼らの姿は、今まで見たどんなものよりもかっこよかった。

 

 カーナピーナのテーブルに生けられた花を見て、そんなことを思い出した。