僕は母の日に嫌な思い出がある。

 

 小学4年生の時、母の日に小遣いでカーネーションを買って母に渡したら、母は真剣な表情で「こんなことすんのは自分のお金で買えるようになってからでいいねん」と言った。

 

 僕は傷ついた。

 

 でも母から悪意は感じられなかった。思ったことをただ言っただけのことだった。

 

 母はとても純粋な人だ。

 

 電話口で自分の名前を説明する時は決まって「『真理の子』と書いて真理子です」と言っていた。

 

 僕はそれを聞く度に、自分でよく言えるなと思っていた。

 

 僕なら恥ずかしくて絶対に言えない。

 

 僕が高校1年生の時、父が広島に転勤になった。

 

 母は「なんで私らが一緒に広島に行かなあかんねん」と言ったので、父は単身赴任することになった。

 

 父は予想外だったようで、とても寂しそうだった。

 

 でも母から悪意は感じられなかった。いつも通り、思ったことをただ言っただけのことだった。

 

 父が単身赴任を始めて半年が過ぎた頃、母は話があると言って僕と弟2人を居間に集めた。

 

 すると母は「お母さんはお父さんのことを愛してるから広島に引っ越します」と言った。

 

 僕は広島に引っ越すことになった驚きより、子供の前で「お母さんはお父さんのことを愛してるから」と言ったことの方が衝撃だった。

 

 僕は映画やドラマ以外で初めて「愛してる」と実際に言った人を見て恥ずかしくなった。

 

 結局僕は母方の祖母が近所に住んでいたので広島には行かず、祖母の家から高校に通うことになった。

 

 そして僕はそのまま東京の大学に進学することになったので、僕が母と暮らしたのは16歳までだった。

 

 16年しか一緒に暮らしていないのに、母の言葉は印象的なものが多く、脳裏に焼き付いているセリフがいくつもある。

 

 

 「子供に見せたったらええねん!」

 

 これは夫婦喧嘩が始まった時に父が「子供の前やねんから」と母を諌めようとすると毎回母が言い返して言うセリフ。

 

 

 「なに先に帰ってんねん!」

 

 これは小学生の時に家族旅行で訪れた三重の夫婦岩という夫婦円満や家内安全の象徴として知られる名勝で、まさかのいつもの夫婦喧嘩が勃発し、母が怒りのあまり家族旅行中にも関わらず行方をくらましていなくなり、父と兄弟3人で数時間捜索するも見つからず、途方に暮れた父が「お母さんはもう帰ったと思う」と言うので車で帰宅したら、母はまだ帰っておらず、父も動揺を隠せずに家の中でおろおろとしていると、突然母が庭に面した大きな窓を開けて現れ、窓を開けるやいなや叫んだセリフ。

 

 

 「これお父さんの金玉みたいやな」

 

 これは母と兄弟3人で夕食で生牡蠣を食べている時に母がつぶやいたセリフ。

 

 

 僕は母ほど純粋な人に出逢ったことがない。

 

 いつか母が東京に来ることがあれば神田に連れて行ってあげたい。

 

 母は代々クリスチャンの家系なのでフランシスコ・ザビエルが保護聖人になっているカトリック神田教会に連れて行ってあげたら、きっと喜んでくれるだろう。

 

 あとSAMAにも連れて行ってあげたい。

 

 SAMAのシーフードカリーには牡蠣が2つも入っているから、またあのセリフが聞けるかも知れない。

 

 

 

 先日、僕は母の日に贈り物をできなかったので母に電話をかけた。

 

 僕が「もしもし」と言うと、母の第一声は「ありがとう」だった。