キューバ旅行~6(トリニダ~サンタクララ~バラデロ) | serena

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身近な花や鳥など~季節を感じながら
カメラに収め楽しんでいます。

    今日の新聞に南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領の追悼式典にて~
       オバマ米大統領とキューバのラウル・カストロ国家評議会議長が
          握手を交わす一幕があったと報じられていましたね~耳
 
            長年の蟠りが少しずつ解けていくと嬉しいです。
 
       年を越すと賞味期限が薄れるのでキューバ旅行の続きです。
          いつもながら~旅の記録としてアップしていますので~
                飽きた方はスルーして下さいね~
 
             4日目(11月10日)
 
 カリブ海岸のトリニダから~サンタクララ、そしてバラデロへ向かいます。
 
  1)トリニダのホテルからの朝焼け~ カリブ海が見えます~チョキ
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    2)ホテル専用ビーチ~
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   3)これから泳ぐのでしょうか~
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        朝食を済ませ~8時00分に出発サンタクララへ向かいます~バス
               サンタクララまで~約88km(約2時間)
 
               途中、植民地時代に大規模なサトウキビ農園であった
             世界遺産の「ロス・インヘニオス渓谷」へ寄りました。
 
4)ロス・インヘニオス見晴台
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    ロス・インヘニオス渓谷はトリニダの外側およそ12 km に位置 する
           サン・ルイス(San Luis)、サンタ・ロサ(Santa Rosa)、
            メイエル(Meyer)という3つの 渓谷の総称です。
 
               5)辺り一面~さとうきび畑
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           ロス・インヘニオス渓谷は、
         18世紀末~19世紀末まで砂糖生産の中心地
          キューバにおけるサトウキビ生産の絶頂期には、
      渓谷では50以上の製糖工場が稼動し、3万人もの黒人奴隷
    工場や周辺のサトウキビプランテーションで働かされていたそうです。
    全体の面積は270 km² で、70以上の製糖工場跡が残っているそうです。
 
6)頭上に野鳥が飛んでいます~
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現地ガイドさんが~「ハゲタカだよ~」
200mmなので~残念~
              7)下には七面鳥がお散歩~
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クルスマスのご馳走になるのかな~
8)                              9)
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10)車窓から~                       11)
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                サンタクララに到着です。
    サンタクララにはチェ・ゲバラと38名の同志が眠る
               「チェ・ゲバラ記念霊廟
 
   チェ・ゲバラ記念霊廟には、カメラや一切の荷物の持ち込み禁止です。
    手ぶらでバスを下り、銅像の真下辺りにある霊廟を訪問します。
 
       ボリビアで銃殺され山中に埋められた遺体を探して
        チェ・ゲバラは後にここに葬られたそうです。
 
    星の形のライトがゲバラの葬られた場所に当たっていました。
   38名の戦闘で戦死した人達が葬られており、パルミラの墓の様に、
  顔のプレートの様なモノが並んで赤いカーネーションが添えてありました。
12)
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                   チェ・ゲバラ
         1928年にアルゼンチンで生まれた革命家。
     ブエノスアイレス大学で医学を学び、医師となる。
 
  チェ・ゲバラ27歳でカストロ29歳と運命的な出会いをします
 
           キューバ革命に当初は軍医として参加、
              そして革命を起こし~
      カストロと共に1959年1月3日にキューバ開放。
 
             カストロ政権下で要職を歴任
           政治家としてのチェ・ゲバラ
     革命達成の1ヶ月後、旧バティスタ派の人々に対する裁判が行われ、
      およそ600人が処刑された。ゲバラは処刑の責任者を務める。
      6月には通商大使として独立したばかりのアジア、アフリカ、
        東欧などを歴訪し、各地で熱狂的に迎えられた。
     帰国後、農業改革機構工業部長および国立銀行総裁に就任
           農地改革と企業の国有化を進めた。
 
   1959年7月15日31歳の時に日本にもゲバラはキューバの通商使節団を
       引き連れて訪れた時に日本での知名度は低かったが~
   日本の企業を周り広島平和記念公園内の原爆死没者慰霊碑に献花し、
    原爆資料館と原爆病院を訪れた。(Wikipediaより)
 
13)                      14)
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    1964年12月11日、国連総会にキューバ主席として出席
 
   理想主義的なゲバラは徐々にキューバ首脳陣の中で孤立を深めていった。
       その後ゲバラはアフリカ中央コンゴへ革命軍と行動を共にする。
          ここでも理想と現実のギャップがあった様です。
 
           キューバへ変装して帰国~そしてボリビアへ~
 
   1967年10月8日ボリビア政府軍に囚われ銃殺。
           ゲバラ39歳 チェは愛称
 
                   簡単に纏めてみました。            
 
   15)ヤシの木は幹が白く「ダイオウヤシ」と云うキューバの国樹
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   バティスタ政権終息のキッカケともなった「装甲列車襲撃記念碑
 
                  16)装甲列車襲撃図
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               1958年12月29日、革命軍を撃退するために、
       武器や弾薬を積んだ装甲車がやってくることをゲバラ軍が察知して
                      線路の一部を外して脱線転覆するのを待っていた。
 
         約400人の兵士と、大量の武器弾薬を積んだ列車は脱線。
           わずか18人のゲリラ兵が一人の死者も出さずに、
                大勢の敵軍を捕虜にしたそうです。
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18)踏み切り
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    19)この場所です。線路側から~
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サンタクララからキューバを代表するリゾート地「バラデロ」へ(約3時間)
             車窓から~町の様子
 
20)                              21)
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22)キューバの英雄「チェ・ゲバラ」車窓から~映り込みが~あせる
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  23)トリニダとは反対側になるバラデロに到着です。
          「メリア・ラス・アメリカス」ホテル5星です。
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24)広くて素敵なホテルです。
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26)クルージングホテルなので~アームバンドをすると~
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ホテル内の飲み物や食事、プール、専用ビーチが
フリーパスになります~ ビール コーヒー ナイフとフォーク
 
27)ホテルの部屋からの景色~海は大西洋です。
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28)今回の旅行で一番良いホテル~ドキドキ  29)テレビは韓国のサムスン~(>_<)
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30)ヤシの向こうが専用ビーチ~チョキ

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キューバ国樹のダイオウヤシ林~
  31)ハンモック~
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  32)プール
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34)ここでもショーを見る事が出来ました~音譜音譜音譜
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37)ライトアップされた~プール
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            キューバ旅行へ行く前の日の11月6日に
       NHKのBSプレミアムでちょうど「チェ・ゲバラ」を放映でしたので~
        少し理解出来て勉強になり、旅行が楽しみでした~グッド!
 
           ヘミングウェイチェ・ゲバラ
            今回の旅行のメインだったと思います。
 
     キューバでは国民を大切に守る為に今でも配給制度があります。
 
     今日は気合を入れてキューバ記事をアップしようと思っていたのに~
       調べ物が多いのに訪問客が多くて捗らず~少し疲れましたあせる
 
                 次回へ続きます~お願い