ギリシャの記事が滞っています。
写真が多く備忘録として残したいので
サラッと見て頂ければ嬉しいです。
スルーして構いません。
2日目の午後(4月4日)
ギリシャ・テッサロニキの空港から
バスに乗って観光が始まります。
ギリシャでは首都アテネに次ぐ第2の都市テッサロニキ
アレキサンダー大王の妹にちなんで名づけられた。
中央マケドニアの首府であり
マケドニア・トラキア行政管区 の首府でもある。
城壁で囲まれたテッサロニキ
東ローマ帝国時代(395~1453)は
首都コンスタンティノープル
(現在のトルコ・イスタンブール)に
次ぐ中心都市として栄え
街の中には世界遺産登録された当時の建築物が多くあります。
今回はそんな古代の香りを残す街
テッサロニキの観光 エーゲ海を望む
殉教した聖人を祀る
「アギオス・ディミトリオス聖堂」
ギリシャ最大の教会で、306年、キリスト教を迫害していた
ガレリウス帝に処刑された聖ディミトリオスを祭る。
建物は再建されたものだが、
建物は再建されたものだが、
初期バシリカ聖堂の様式をよく伝えている。
内部には聖人や聖母マリアを描いた
7世紀のフレスコ画も飾られている。
6世紀と7世紀のモザイク画
聖ディミトリオスは、テッサロニキの守護聖人でもある。
この中に聖ディミトリオスの頭蓋骨が入っているそうです。
幽閉された古代ローマ時代の浴場の遺構
地下通路
その時に降りた2羽の鷹が紋章になっている棺
「ガレリウスの凱旋門」
ギリシャに数ある歴史的建造物の中でもよく知られている門
306年、口ーマ皇帝ガレリウスはテッサロニキから離れ
セルビアへと渡り、しかしその後ここテッサロニキには
戻ることなくセルビアにて生涯を終えた。
凱旋門は298年から299年に掛けて建設され、
298年に首都クテシフォンを攻め落としたことにより、
サーサーン朝ペルシアに勝利したガレリウスを
記念する為に303年に落成。
8本の柱により支えられ、
3つのアーチ型通路を持つ形式の凱旋門は
レンガの間にコンクリートを流し込んだコア部分の外面に
浮彫のある大理石板を貼りつけた形状である。
王の霊廟予定地であった「ロトンダ」
306年に完成した円形の建築物で、
世界遺産
「テッサロニキの初期キリスト教とビザンティン様式の建造物群」
登録を受けた建築物の1つ。
当時のローマ皇帝・ガレリウス帝が
自身の霊廟とする予定で建設した。
311年に亡くなった際セルビアに葬られたので
霊廟としての使用は無く、
その後コンスタンティヌス1世時代はキリスト教会、
その後コンスタンティヌス1世時代はキリスト教会、
1590年からはイスラム教のモスクに姿を変え、
モスク時代に建設されたミナレットは
現在もその姿を残しています。
凱旋門とロトンダはガイドを説明を聴きながら車窓からで~
下車して見学したかったですね。
「ホワイトタワー」
テッサロニキの南・テルマイコス湾沿いに建つ、
16世紀頃建設の丸い塔。
テッサロニキのシンボル、
テッサロニキのシンボル、
建設当初のオスマン帝国時代は砦として使用。
その後19世紀は牢獄に変身し、
当時の皇帝・マフムト2世が
イェニチェリ(オスマン帝国の歩兵)を
処刑する場所としたことから
「血の塔」と呼ばれた時期もありました。
エーゲ海の観光船
ギリシャの人々にとっては、非常に忌わしい建物で、
それを拭う意味で、
この塔は真っ白に塗り替えられ「ホワイト・タワー」
1912年に改修が行われたのちは元の白さを取り戻した。
1912年に改修が行われたのちは元の白さを取り戻した。
テッサロニキ観光を終え、約230km(3時間半)
カランバカへ向かいます。
カランバカ は、
ギリシアのテッサリア地方トリカラ県の都市で、
世界遺産のメテオラ観光の拠点となる町。
カランバカのホテル「ファミッシ」で夕食です。
スープ・生野菜・鳥モモ・ポテト・ライス・プリン
撮影 2019年4月4日
場所 ギリシャ・テッサロニキ~カランバカ
成田を飛び立ってギリシャに着き長い一日が
やっと終わろうとしています。
早めにホテルに入れるのは嬉しいですね~(^^♪
食事前に時間があるので~ホテルの周りを散策しました。
ビールはホテルなので観光料金でビール=€ 6=約780円
スーパーで、ビール=€ 1,5~2くらい(約195~260円)
水0,5L=€ 0,50(約65円)
ガソリンが高くてビックリ~€ 1,60前後=約208円
ギリシャでは消費税が23%にまで引き上げられました。
衣料品、書籍の消費税は6,5%ですが、
日用品の消費税率は23%です。
続きます~(^_^;)

















