気分がいいのはなぜか?
幸せとはなにか?

幸せとは、

自分の思い通りになること。

なのか。

人生は思い通りならないことも多い。

だから幸せになれないとは考えたくない。

すべてが思い通りなんて、無理だ。

思い通りいかないこともうけとめられないと、つらくなる。

調子のいいときが誰にでもある。

そのときに
風呂敷を広げすぎると、あとあとつらくなる。

いいときは、うまくいかないなんて想像できずに、人間関係を広げすぎたり、好きなことをしすぎたりする。


人の期待に応えられないことはつらいこと。
広げた風呂敷をどうたたもうか、分からなくなる。

だから夢を諦めろとか、こじんまりに生きるべきだとは思わない。自分の人生を総合的にみて、どうしたいかだ。納得できるかどうか。

がむしゃらにでも、具体的にどうしてもやりたいことがあるならそれが一番だ。


ただ、幸せになりたいだけならば、
人生を楽しむことが目的ならば。

地道に地に足をつけて、実利を得たい。

誰にも何も言わなくてもいい。
自分だけが知っていればいい。

真面目で几帳面であれば、何かしらのトラブルがあったときに余計につらい。

ちょっとぐらい不真面目で、
適当にできるぐらいがちょうどよい。

世間はどんどん、杓子定規に、
ただ批判だけをする。

人と比較するし、どう思われるだろうとか考えてしまう。


だからときどき今の人のつながりをすべて捨てて、自分のことを誰もも知らない世界に行きたくなる。


孤独がいやなはずなのに、仕事もその他のこともすべてがわずらわしくもなる。


ぶらっと旅に出て、

そのまま気に入った土地に巡り会えたら、
そこで新しい生活を初めたい。


人生には理由づけが必要。

あきらめられる理由が必要。
辞める理由が必要。

別れる理由。新しく初める理由。



みんなが納得できる理由があれば、
受け入れられる。

これは本質的なことではない。

うまいこと言っているだけで、理由のひねりだしがうまいだけかもしれない。

ふりかえったみると
精神衛生上は、理由は重要なこと。

どんなにおかしなことや実害のあることも理由があれば、腹が立たない。

ささいで実害はほぼないことも理由が不純だと、怒りがわいてくる。

ばかはかしくても、そんなことが許せないのは、理由づけできないからだ。

理由をうまくつけよう。

どんなつらい環境であっても、
また全然違う環境に行けるなら、希望が持てる。

ハードランディングさせないで、
ソフトランディングできるように。

誰も傷つかない理由づけが必要だ。

自分自身もそれで自然に納得できる、

同情される理由なら、それが一番いい。

本当にどうでもよくて本質的ではない。
でもそれでこころが休まるなら、方便だ。


自分の思い通りいくことが幸せで
思い通り行かないことが、不幸せだとしても

自分の思いは、自分で決められる。


最初にどんな自分の思いの持つか?

それによっては、
たいていのことは、思い通りだ。

それも自分への理由づけなんだ。

納得できるかどうか。

どんな相手でも、相手を納得させる理由を用意できるかだ。


自分のことをかんがよう。
自分の身の丈にあった価値観と人生。

なるべく地味に、人間関係は、短期的に深い場合は、短く深く期間を切ってお別れする。

長く付き合いになる場合は、浅く頻度少なめに遠くにいて思うのがいい。
(家族だけは例外だが、同居してる家族と遠くにいる親戚とは関係性が違ってくる。)

刹那に一期一会、今日が最後かもと思って人といつも接する。

いつでも身軽で、すべてを捨てて、旅に出る覚悟を持って、調子のいいときから、日々準備はしておく。

普段は責任をはたし、家族や守るべき人を守り、羽目を外さない程度に楽しむ。

夢は自分の中にだけあたため、人知れずそのことを目標にする。成果は自慢することでもなく、評価してくれる人だけで十分。

好きな趣味を誰にもひけらさないで、誰にも迷惑をかけない範囲で、ただ自分として好きなことを楽しむ。

お金はあるにこしたことはない。
貯蓄は安心を得るためにでもあり、できるだけする。

地位や名誉は自分の身の丈以上にいらない。
それ以上にあれば、あとあとつらくなるだろう。

旅をしたい。お休みを取りたい。
美味しいものも食べたい。もう一つのことも許される範囲で楽しむ。

平凡で、中程度で、十分幸せだ。

それ以上は、もちろんもっとあってもいいが、こうならなくてはダメだとか、つまらないとかは思わない。

そういう生き方をしたい。