幸せとはなんだろう。
成功や達成感だけでは、きっとない。
幸せとは、こころが安定すること、
かもしれない。
こころは、自分次第でどうとでもなるはずなのに。
受け取り方しだいだし、それは自分で決められるはずなのに、簡単なようでいて難しい。
開き直ってみても、湧き上がってくる感情を抑え込むことはできない。
心を切り替えたつもりで、
割り切れないものが残ったりする。
考えたくないのについ考えてしまう。
お金のことも心配の種だけど、
お金だけで、こころが安定するわけでもない。
こころが安定するとは、
穏やかな日々が過ごせること。
かき消さなくても、
ネガティブなことが浮かんでこないこと。
余計なことにとらわれないで、
本当に自分がしたいことに、
集中できること。
分かっても、できるわけではない。
人から見たら、そんなことに、
悩んでしまったりする。
どうしても、とらわれてしまって
抜け出せない。
今、決めよう。
どっちだっていいことだ。
負けても、やれることをやるだけだ。
理不尽であっても、
世の中を生きるには、それも含めて、
乗り越えないといけない。
難しい。
自分のいやなことばかり、
こころに浮かんでくるけれど、
思うことは自由なんだ。
明日からプロ野球選手にはなれないし、
大成功もしない。
でも、何をどう思うかは、
今、変えることはできる。
制約条件はない。
自分が何を思うか、何を思いたいかだ。
逃げ出しても、多分ダメだ。
お酒とか他のことも、助けにはなるときもあるけれど、依存してはダメだ。
すべてを肯定しよう。
楽しめる時間をもとう。合法的なことでないと、もちろんいけない。
カラオケも今はあんまり行けないけど、
部屋で好きな曲を聞けば良い。
旅行も行きにくいけど、近所の街や公園には行けるし、ランチやカフェも、それなりに楽しめる。
追い込まれたときは、
いざとなったら、本気をだすから、
と言ってもいい。
養う人がいないなら、すべてを捨てて
どこか遠くの街に行くことを妄想してもいい。
こころの安定とは、なんだろう。
腹をくくることだ。
心配しても、恐れすぎないことだ。
人は弱い。
耐えられない。
強くありたいと願っても、
みんなが強くはなれない。
弱くてもいい。
負けてもいい。
あまり、深く考えないで、
楽しめる時間が必要だ。
時間を埋めないと、こころをかき消せないなら、
タスクをこなすこともいいのかもしれない。
仕事は、ゲームみたいなものだ。
仕事が悩みの原因なら、こころの持ち方を変えることで解決するか、別の仕事にするか、しかない。
タスクをこなしている間は、
余計なことは考えなくなって、
それに集中できれば、
ある意味では、こころは、安定する。
それができないようなら、向いていないか、ブラックな仕事かのどちらかだ。
仕事以外にも、時間を埋めることはできる。
恋愛も。
趣味も。
株やFXも。
競馬や一口馬主も。
部屋の模様替えや、カフェめぐりや、
ブログや、youtubeやInstagramも。
目的とゴールが設定でき、
それに対して取り組むことができることには、
ゲーム性がある。
自分なりのやり方を模索して、
いろいろ試行錯誤して、
ということに、集中すれば、
時間を埋められる。
こころを安定させたい。
こころを安定させるのは、
常にパズルを解いて、時間を埋めながら、
楽しめる時間をもつことではないか。
では、人生は、
時間を埋めるためにあるのだろうか?
暇だと余計なネガティブな思考になるから、
外へ出て、何かすることで、時間潰しをして、気を紛らすことだろうか?
そうかもしれない。
成功者がみずから命を絶つのは、
もうやることがなくなるからか。
ゲームに勝ち続けることは難しいし、
一度上のステージを経験したら、
もっと下のところで、何かしらゲームをしても、真剣になれないし、
何よりプライドが許さないのかもしれない。
こころの安定のために時間を埋める。
埋めるためのゲームなのに、
ゲームのことで、悩むのは本末転倒だ。
きっとそうなんだと思う。
そのバランス感覚を持って、
すべてのことに取り組んでいけば、
とらわれすぎず、適度に集中して、時間を有意義に埋められるのかもしれない。
こころの安定が続けば、
きっと幸せでいるだろう。
強くて、うまくできて、成功しても、
幸せかどうかは、わからない。
強くなれなくても、
うまくできなくても、
成功しなくても、
自分にあったゲームで時間を埋めて、
楽しめる時間をもてば、
幸せになれるんだ、と思った。