浮かんでは消えるように、思いは変わっていく。
毎日のことを。ここに書いても、何も変わらないのかもしれない。

人生とはなんなのだろう。突き詰めて考えてみても分かるはずもない。ぼんやりとただ生きているのは、思いがぼんやりしているからだろう。

目的とはなんだろう。人生で何かしたいことがあるわけではない。本当はあったとしても、後回しになりがちで、日々の糧を得るための仕事や雑多なことに過ぎていってしまう。

自分の実力はよく分かっていて、昔、やりたかったことはかなっていない。

仮にもうまくいくには、覚悟と努力と強い思いが必要だろうと思うが、険しくどうなるか分からない道を進む勇気などない。

気楽に生きたいのに、なかなかそうもいかない。今の仕事にも最善を尽くし頑張りはするが、給料以上にまでやる気はない。それでも簡単にはいかないものだ。

どうでもいいことは、無視していたいのに、どうでもいいことに支配されてしまう。

ならば、目的をもって、それに向かって努力していくべきだろうかとも考える。どうでもいいことに毎日を費やすよりは、同じ頑張るなら打ち込めるもののがいい。そう頭では思っても、簡単には今の生活や仕事を変えることもできない。

人生は、がんばることだとしても、気楽にがんばりたい。

成長するために、試練が必要なことは分かるが、毎日毎日どこまでやったら試練から解放されるのだろう。

どこまでも次のステップが続くのが人生なら、もういやだと叫び出したい。もっと別の考え方はないだろうか。

サボって何もしないで生きていけるとは思わないし、それなりの努力や頑張りはするけど、笑って話せるような、楽しめることにしたい。

ぬるま湯だけど、それなりにやってます。
そんな生活をしたい。

人生に意味があるのかないのかなんて、考えても分からない。頑張って生きても、頑張らなくても、考えたり、悩んだりできるのは、生きているときだけだ。

どんな成功をしようが、どう生きようが、人はいつか何も無くなってしまう。自分の意識がこの世界から無くなった状態のことを想像しても、想像できない。無だ。世界を認識することも、思い出を振り返ることもできない。それでもどう生きるかに意味があるのか、分からなくなる。


本当にこの世の中が存在するかだって、本当はわからない。宇宙も地球も分からない。幻想かもしれない。自分という存在がなんなのかも分からない。


今、生きている人だけが、世の中という存在があることを担保している。誰に聞いても世界はあると言うし、世界があることを身をもって証明してる。

世界は、人の意識によって成り立つなら、それはどんどん受け継がれながら、つづいている。
でも地球だって太陽だって寿命があるだろうから、ずっとつづくわけではないだろう。

すべてがなくなったとき、何も残らない。

世紀の大発明も、歴史を変えるような英断も、感動的な奇跡も、すべて語りづく人がいて、意識できる存在がいて、成り立つものだ。


だとしたら、すべてはいつか、
すべてなくなってしまうのだろうか。

この宇宙のどこかでは、生命が生まれて、多くの歴史が作られ、きれいさっぱりなくなったことがこれまでにあったのだろうか。

うーん、ばがばかしい。

そんなもの、分かるわけがない。
それこそ、どうだっていいことだ。

これからの、毎日のことを、考えよう。

世界がどうあれ、すぐには無くならないだろうから。


自分が残りの人生で、本当は何をしたいんだろうか。気楽に楽しむとはとうしたいんだろう。

安定なのか、自由なのか、
冒険するのか、安全第一なのか。

今の仕事をしながら、楽しめることを探すことがベストなのか、仕事を辞めて、別の環境に飛び込むことがいいのか。

人生の意味や目的はわからないけど、
それをじっくり考えたい。