夫は2022年の12月末に旅立ちました。

たまに、久々に連絡をくれる友達が、「少しは落ち着いた?」とか「もう1年たつんだね、早いね」とかのコメント。

おそらく、私も今までならそのようなコメントをしてたんだろうと思います。だって、なんて言ってあげればいいかわからないし。

グリーフグループの方が、チャットで言ってらした時間の感覚、「まるで、昨日の事のようにも感じるし、一生のように長くも感じる(feel like a lifetime)」とおっしゃってて、私もまさにその通りだと思います。今の私の感覚では、2023年は「一生のように長く感じた」気がしています。なので、おそらく私の周りの友人が思うように、決してあっという間に時間は過ぎてないです。昨日のように感じるのは、夫が彼方の世界に行ってしまった事自体、ある意味鮮明に覚えてるからなのかもしれません。

 

そんな事を考えて、昨年どうやって過ごしてたんだろうか、と思って、少し振り返ってみました。夫の闘病中の事は、まだ振り返られるまでには至ってません。

 

1月 

初旬にお葬式。しなければならない手続きをし始める。そして、クリスマス休暇の後はすぐに仕事復帰するが、夫の娘が元々夫と私をクイーンズランド州にあるお家に誘ってくれていたのもあり、そのまま計画通り、1週間仕事をした後で、また休暇を取り、夫の娘の家に滞在する。これが、本当につらい時期を過ごすために助けられたという気がします。この時期は、やっぱり一人でいるのが辛かったし、夫の下の孫といろいろ遊んだり気が紛れました。この頃は、やっぱり、友人や、近所の方々もすごく心配してくれて、いろいろ気にもかけてもらった時期でした。休暇から帰るときに、すごく一人で家に帰るのが嫌だった記憶があり、このまま、ずっとどこか違うところに旅し続けたい感情にとらわれました。

 

2月

夫の遺灰を分割して(夫の故郷であるハンガリーに持っていってあげるつもりです)、こちらにもお墓を作りたいとの事で、結局樹木葬ができる場所を見つけ、1月中にもう決めていたのですが、その納骨というか、遺灰を納めました。娘たちが話をしないというか、絶縁状態になってしまい、間に挟まれて少し大変な時期もありました。お墓(樹木葬)のある場所は、自然いっぱいの素敵な場所で、この場所を選べて良かったです。そして、日本の家族に心配をかけたのもあり、3月に日本に短い休暇を取りたいと会社の上司に言って、許可をもらってから、チケットを取りました。

 

いろんな手続きがまだ続いています。車の名義変更や、古い車の処分を考えていました。仕事には毎日行ってましたが、帰り道に、もう迎えに来てくれないよな、とか、色々考えて泣きそうになったり、ひとりでのごはんも食があまりすすまなかったです。眠れない夜もありました。この頃もうすでに体重が5キロ以上は減ってたと思います。ただ夫の闘病中から徐々に減ってたので、あまり気にしてませんでした。

 

3月

日本に一時帰国しました。とはいえ、あまり休みも取りにくく、10日ほどのとても短い休暇でした。それでも、やっぱり心配をかけた家族に会いたかったです。あまり友人とは約束を入れずに、夫の事をよく知ってる親友に会ったのと、近所の友人とお茶したくらいで、あとは家族とゆっくり過ごしました。夫の遺灰の半分は私が持ってて、家に写真入りの遺灰入れに入れてあるので、一緒に連れて行きました。夫が亡くなってから初めて家族と会いましたが、穏やかに過ごせました。短かったですが、行って良かったです。やはり家族と一緒だと、食欲も戻り、よく眠れてたと思います。

 

こっちに帰ってからも、家賃の契約者の名義変更や、その他もろもろ、まだ手続きが途中でした。とにかく、色々時間がかかります。そろそろ、古い車の処分を真剣に考えます。たまたま1月に行った夫のかかりつけ医で、血液検査をお願いしたのですが、あることでさらに詳しい検査が必要で、超音波や、CT検査をすすめてました。日本帰国前に、かかりつけ医からは、専門医にまわすから、という事で、言われてました。実は、肝臓あたりに4.5cmほどの何かが見えるとの結果だったのです。かかりつけ医は、元気そうだし、そんなに心配することないと思うから、日本楽しんできてください、と言ってくれたけど、なるべく早く病院の専門医に診てもらえるようにするから、と言ってくれていました。当の本人は、少し気にはなってたけど、あまり気にかけても仕方ないし、なにせ自覚症状ゼロですから、家族のも余計な事言わずに、帰ってきてから対応すればいいや、という感覚でした。

以前の私ならパニックだったと思うけど、夫を亡くした辛さが勝ってたと思います。

ただ、一人で超音波やCTの検査を受けるにあたって、夫の事を思い出し(夫もまったく同じ検査をいつもしてました)、そこがとても辛かったです。