観点の問題を理解すればするほど、

人間的なやり方レベルの立場チェンジでは難しいということがよくわかります。


人と相対する時に必ず必要な要素があります。


それはなんだとお思いますか???


それは主観を絶対に入れないということです。


人は、コミュニケーションをする時に必ず、脳みそを使います。


脳みそは、初期設定として、過去のイメージと繋げて理解するクセがあります。


「水」という言葉を聞いても、


その人の独自の解釈の、「水」をイメージを過去とつなげます。

人は、関係性が深くなればなるほど、抽象的な話になればなるほど、わかり合うことが難しい傾向があります。

抽象度の高い話の合意がとれる組織、関係性は強いつながりがあるとされます。

しかし、抽象度の高い組織を構築するのに今までの言語コミュニケーションでは限界があるのです。

大体、家族の5人、組織の30人がちゃんと統率がとれるギリギリじゃないでしょうか。そして、それは一過性のものに終わることが多く、本当に永続的にチームプレーを築くことは本当に難しいと思います。


なぜなら、観点の問題を問題のまま、みんな価値観はちがいうからとか、尊重した方がいいよねと、観点が無限大を許容しているからです。


しかしながら、観点が無限大であることに統制が難しく、

意思決定を執行する時に、かならず誰かが我慢することになります。


どうやって、それを統制するのか、


それは、観点をゼロ化できることなのです。


観点を生み出すことに価値があると思いがちですが、


ゼロ化するということは、いくらでも新しい観点を生み出せる状態であるともいます。

ゼロ化できないということはどういう事かというと、観点を一つしか持てないという事なのです。


nTech用語では、1の不在と言っています。



例えですが、

1は、整数を約数すると、かならず含まれる数字になります。

1がどの整数にも含まれれているのです。

どの数字になれる、情報の基本単位1があるから、どの数字にもなれるのですが、

我々は、どの数字にもなれるその最小単位1を知らないのです。


その1が規定し発見し、活用することが、観点に囚われることなく観点ゼロの状態になれるのです。



nTechは、哲学を実生活に活かすことができる、本物の哲学なんだと思います。


深い哲学のある生き方は中心軸があります。


その深い哲学は、日本人が文化として培ってきた、間の文化とイコールなのです。


その間の感覚を哲学化、科学化したnTechはすごいなーと思うのでした。