目標を設定して、

そのために計画を設定して、

実践行動して、結果を得る。



すべての生きるための活動は、このサイクルといってもいいと思います。

その中で、反省もし、改善もし、少しずつ自分の人生の階段を上がっていく。



もし、この反復で人が誰しも幸せになれるといいのですが、
果たして、本当に幸せになっているでしょうか。

こんなにもがんばっているのに、どこか満たされない。
同じ次元をぐるぐる回っている。

そんな気持ちがする方も多いのではないではないでしょうか。

大きい事業にチャレンジすればするほど、周囲の助けを借りることが大切になります。


しかし、自分の目標や計画を周りの協力者に100%自分の想いを共有することの難しさを誰しも感じるのではないでしょうか。
結果、一人でがんばるということも多々あるように思います。


なぜそういうことがおきるのか、それは観点の問題なんですが、


別の表現をするなら、思考のワナだと私は理解しています。


目標をたてる、そもそもの思考の出発がもし間違っていたとするなら、どうでしょうか。

このこと理解することは、なかなか難しいかもですが、結論的にいうとそうなのです。


人は、何に問題意識を持つか、何にフォーカスをするのかで、人生が決まります。

そして、大体の人間が人間5感覚脳の世界があるのが当たり前の状態で、体の範囲が、自分(中)と外を分ける基本になっています。

そして、大体目標を立てるときは、外の世界があるのが当たり前で、人間後感覚脳の見せている世界での変化を目標と設定します。


人間5感覚脳の世界は、観測者が変わればまったく違って見える、相対的な条件によって変化してしまう世界のなのです。



その条件によって、土台の上で目標を立てるとどうなるか、といいますと、

目標そのものが、条件によっては最高の目標になったり、重要度の低い目標になったりします。その目標を設定しているその人、自身のモチベーションによっても大きく左右されます。

その一方で、その目標が永遠変わらない物を土台にした、とても重要な目標であれば、やり続けることができるというものです。


つまり、馬でたとえるなら、目の前のぶら下げたニンジンがどんな素材なのかということが実は大事なのです。



どんな素敵な目標であったとしても、

人間5感覚脳だけの機能に依存して認識し、観察し、判断したものは、その解析に永遠性を取り入れることは難しく、その人オリジナルの観点、物の見方になります。
よって、その他の物の捉え方や意見と100%融合することが難しいのです。


この人間5感覚の思考から出発するワナは、人間機能の問題なので誰も責めることはできません。

つまり、その人間5感覚の条件によって変化する思考出発から、


永遠に変わることのない真理から思考を出発することが、


目標・計画・実践行動をする前に必要な準備なのです。

ハッピーハロウィン🎃たのしかったなー。来年はもっと楽しみたいw

てか、この時、スターウォーズ沢山いて、スターウォーズ見たいなと思ったの。
見たいなーーーー、よし、見よう。