実は、2004年12月にレーシングカートでレース復帰は、本当は誰にも言わず、こっそりレースに出ようとしていました。
レース復帰が決まってからも、ずっと誰にも伝えてませんでしたが、事故から2年後のF1日本グランプリ前座レースのフォーミュラドリームレースで、藤井誠暢くんと初めて話した時、
「実は、内緒で12月にカートレースで復帰しようとしてるんだ〜。みんなを驚かせようと思って。」
と話すと、
藤井くん:
「ピロさん!そんなのもったいないですよ!大々的にやりましょう!協力しますから!」
と僕よりテンション高めで言ってくれました。笑
藤井くんがみんなに声をかけてくれ、藤井くんのマネージャーをしていた玉虫くん、元ロック歌手でレーシングドライバーの待田くん、レーシングドライバーの大瀧くん、戸田レーシングのメカニックだった池田くんなど、毎日集まりながら、短い1ヶ月の間にメディアPR、レース前のパーティーの企画、スポンサー活動などの会議をおこないました。
レース復帰を公表すると、僕がレースで事故をして、命を取り留めたのにまたレースに出ることが心配頂いているご意見があることを知り、皆さんに説明にお伺いしました。
きっと、こっそりレースに出ていたら、皆さんを残念な想いにさせてしまっていたかもと思います。
藤井君はパーティーを開く為には予算が掛かるため、スポンサー活動の企画書を作ってくれたり、スポンサーさまへ一緒に同行してくれました。
みんな僕の為に集まってくれて、みんなで考えてくれることが僕は新鮮で、みんなの気持ちに応えたいと思いました。
その為に、安全に笑顔で終われることを優先に考えました。
みんなの企画のおかげで、テレビ、新聞、雑誌、ヤフートピックなどに多くのメディアに取り上げて頂き、青山のレストランを貸し切り、復活パーティーを開催出来、皆さんからの応援頂いているお気持ちが伝わってきました。
大々的に復帰することが出来たのは、皆さんのおかげなんです😊
レースでは、みんなが赤い復活Tシャツを着て応援してくれ、僕がストレートを駆け抜けると、みんな笑顔で応援してくれました。
「みんなの為にゴールする!」
と心から思いながら、攻めながらも安全にゴールを目指しました。
この写真を見ると当時の思い出が蘇り、今でも涙が込み上げてきます😢
このメンバーでこの復活レースの企画が成功出来たことが、何よりの僕の思い出です😊
僕のターニングポイントのひとつです。
この復活レースが成功したのは、みんなが応援してくれたみんなのおかげです。
本当に感謝しています😃ありがとうございました😊
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・車椅子ファッション ピロレーシング 代表 長屋宏和
・銀座三越4階「洋服のリフォームサロン アトリエロングハウス」代表 長屋宏和