さて、チャーリーパーカーやディジーガレスピーの登場を経てジャズ界のメンバーも豪華になってきましたね。
ここでいよいよ、ジャズ界のキング!王様!革命児!
「マイルス・デイヴィス」の登場です。
マイルスがジャズへ飛び込む第一歩となる素敵なエピソードがあります。それは
1944年のビリーエクスタイン率いるバンドがセントルイスでの公演の際のできごとでした。マイルスがトランペットを持ちながら演奏会場を歩いている、何も知らないガレスピーがマイルスに「本番でステージに乗るトランペットが一人足りないんだが、楽器は吹けるのかい?」と声かをかけ、実際にエキストラとしてステージに乗ったというエピソード。そしてこのバンドにはチャーリー・パーカーもいたそうです。なんとも奇跡的ですね。
(Wikipediaより)
そんなこんなでマイルスのビバップの双璧との出会いは意外と早かったようです。
その年の1944年にマイルスはジュリアード音楽院に入学しますが、すぐにやめてしまいました。その後パーカーのバンドに入団し演奏を続けます。
マイルスとガレスピーの演奏は大きくスタイルが違いました。
マイルスはガレスピーの演奏に憧れ、多くを学んでいました。しかし、ガレスピーの様に演奏できないことに悩みを抱えていました。
<Charlie Parker, Dizzy Gillespie - The Legendary Town Hall Concert New York 1945>
(8:34~ チュニジアの夜)
そこで次第にガレスピーの様なゴリゴリに吹くスタイルではなく、抑えのある音色で演奏をするスタイルになっていきました。モリモリの演奏ではなく、余計な部分を削ぎ落として行くような音色を追求していきました。
そんな音色を追求するマイルスに大きな転換期がきました。
ビバップの演奏は個人の技量を柱としながら演奏を成り立たせる演奏スタイルでしたが、そこにマイルスは編曲という形を使いながら、密度の高い抑制された演奏表現を提示していきました。
その最初の試みとなるのが「ナインピース(九人編成)」というものです。最初こそ周囲には認められず解散しましたが、惜しむ声もあり改めて収録が行われました。
そして生まれた名盤が「クールの誕生(BIRTH OF COOL)」っです。編曲を担当したのもジェリーマリガンやギルエヴァンス、そしてジョンルイスなどそうそうたるメンバーでした。
ジャズに少しでも興味がある人は一度は聞いたことある名盤ですね。このアルバムはこのような経緯で作られたアルバムだったのですね。ただ、必ずしもこのアルバムがクールジャズと呼ばれる音楽のスタイルの走りともいえないようです。
この時代には同時多発的にクールジャズのスタイルが発生していたようです。
「クールジャズ」=ヴィブラート音を抑制した音(クール・トーン)を用いた演奏に由来する言葉。
同時期にはレニー・トリスターノやリー・コニッツなどがいますね。
<Lennie Tristano Trio - Line Up>
<Lee Konitz Quartet -Tranquility -1957 (FULL ALBUM)>
さて、今日はマイルスの登場から、クールジャズの登場までを追ってみました。次回は、「ウエストコーストジャズ」および「ハードバップ」に迫っていきましょう。
ではでは。