前回に引き続きジャズの歴史について調べていきましょう。

<New Orleans Jazz>
前回まではジャズを形作っていた3つの音楽を調べましたね。
今回は、ジャズの最初の姿である「New Orleans Jazz」について調べていきます。

まず、「ニューオリンズ」という土地の歴史について少し触れましょう。「ニューオリンズ」はフランスの植民地として18世紀初頭に設立されました。その後18世紀中盤にスペイン領となり、またフランス領に戻りましたがアメリカ合衆国に売却されました。このように様々な国の領土であった機会があったため多くの「クレオール」がニューオリンズという町に流れ込みました。

「クレオール」・・・ルイジアナ州が米国の一部となる前の、フランス領の時代の居住者を先祖に持つ全ての人種、及び異人種間の混血の人々。(時代により様々な見解があるようなので、気になる方は調べてみてください。)

クレオールには、ヨーロッパの文化を背景にし、祖先であるアフリカの血、そしてフランス領であったカリブ海の文化といったたくさんの文化が混在していました。このクレオールがニューオリンズでジャズを誕生させる立役者となるのです。


ニューオリンズでの黒人の葬儀では墓地まで親族友人一同が行列で行進する風習があり、楽隊も同行するようになりました。墓地に行く際には同行している楽隊が重々しい葬送歌や賛美歌を演奏します(ファーストライン)。そして、棺を墓地に納め、墓地からの帰りは一転明るい曲(多くの場合がスウィング感のある賛美歌やスピリチュアル)を演奏しました。(セカンドライン)。
この風習の中で行われる「セカンドライン」がニューオリンズジャズの原型になったと言われています。
また、のちに大物となる、かの有名な「ルイ・アームストロング」もこの街頭パレードや葬式の行進で活躍していました。

New Orleans Second Line 個人撮影のもののようです


この「セカンドライン」はフランスの植民地だったことが影響して、楽器の編製がブラスバンドに近いスタイルでした。(コルネット、クラリネット、トロンボーン、太鼓、バンジョー、チューバなど)。。。
このような演奏形態をコレクティブ・インプロヴィゼーション(集団的即興演奏)といい、コルネットのメロディーを中心として、即興的に行われました。

(http://haroband.com/khachaturian/jazzcolumn/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%891945%EF%BD%9E2012/よりお借りしました。)

19世紀後半になり、南北戦争が北軍の勝利で終わりました。戦争に負けた南軍の楽器が安く売にだされそれを手に入れた「クレオール」を含む黒人の労働者たちが「セカンドライン」などをさらに発展させていきました。
ニューオリンズのコンゴ・スクエアという場所では、日曜日になると黒人奴隷たちが集まり楽器を演奏していました。また、原始的なアフリカの音楽なども披露していました。



(Wikipediaよりお借りしました)


時代がすすみジャズの歴史に転機が訪れます。1897年条例により合法の売春街である「ストーリー・ヴィル」ができました。「ストーリ・ヴィル」が出来た背景として売春婦の横行がありました。そして、その溢れかえった売春婦を求め歩く男たち。
このような状況に終止符を打とうと思い立った人物がいました。市の役人である「シドニー・ストーリー」という人物でした。
彼は娼館の経営を容認する区画を作り、そこでの売春はOKという制度を作り上げました。
そしてその区画を彼の名前を取り「ストーリー・ヴィル」と名付けられました。


当時のストーリーヴィルの様子

(Wikipediaよりお借りしました。)

ニューオリンズの写真家 ベロックによる娼婦の写真

(Wikipediaよりお借りしました。)

現在も現存するストーリーヴィル時代の建物

(Wikipediaよりお借りしました。)

ストーリーヴィルができたことにより、その周辺の歓楽街ではダンスホールや酒場ができました。そう!まさにこの酒場やダンスホールが演奏をする場となりました。
ここで登場するのがニューオリンズの黒人の演奏家たちでした。これにより音楽が仕事として成り立つようになっていきました。つまり、プロのジャズミュージシャンが誕生した瞬間であったわけですね。

この当時のミュージシャンとしては伝説的なミュージシャンである
「キング・オリヴァー」や「シドニー・ベシェ」などがいました。

King Oliver's Creole Jazz Band (Gennett, April 5-6, 1923 Session)


Sidney Bechet - Egyptian Fantasy


しかし、この地でジャズが花開き発展していくかとおもいきや、そうもいかないんですね。。。
1917年にアメリカが第一次世界大戦に参加したのを機に、20年間続いた「ストーリーヴィル」は閉鎖されました。残念!!

職を失った多くのジャズミュージシャンはミシシッピー川を北上し北部の産業都市であるシカゴへと向かいました。



以上までで「ニューオリンズ・ジャズ」としてまとめました。
気になる方はもっと深く調べてみてください。

ありがとうございました。

・・・おまけ・・・
Just A Closer Walk With Thee - Doreen´s Jazz - New Orleans