こんばんは。
禅タロットセラピストえんどうひろみです
「仏像もっと見たい!
そうだ、護国寺に行こう!
まだ目前に仏像を拝観したことないし」
と護国寺にいきました
私のように激しい道オンチでも
護国寺は迷いようがありません
地下鉄の護国寺出口を降りて
左にくるっと振り向けば
上記の景色が目に飛び込みますので~
こちら不老門というそうです。
不老門を抜けると
本堂がー!
前回、護国寺にきたときは
閉まる直前の時間だったので
中に入ることができず(>_<)
そのときに隙間から
こっそりのぞいたとき
たくさんの仏像が目に入りました
なので
「あのたくさんの仏像を
見ることができるのかー!
やっほー!もうすぐ
仏像パラダイスだ~♡」
とうきうきして歩みを進めたら…
なんだか前回と違う
前回はお坊さんたちは
作務衣を着ていたのに
今回は袈裟を着ているお坊さんが
たくさん行き来している…
そしてなんだか空気が
ぴりぴりしている、というか
緊張感がただよっているような~
本堂の近くまできたら…
前回開いていた扉が
ぜーんぶ閉まっているではないかー!
仏像どころか
なーんにも見えない!
本尊「如意輪観音」さまを
拝みたかったのに!!
そしたらこの札が立っていた
「伝法灌頂(でんぽうかんじょう)戒壇」
ってなんだ?
灌頂っていうのはなんとなくわかるけど…
で、その場で調べてみた
「伝法灌頂とは…
日本密教では、四度加行(しどけぎょう)という
密教の修行を終えた人のみが受けられる。
正しくは金胎両部伝法灌頂(こんたいでりょうぶ・
でんぽうかんぢょう)という。
ここで「金・胎」とは
中期密教の宇宙的世界観を表す金剛界と
胎蔵界を意味する。
インドに始まり、日本密教や中国密教、
チベット密教においては、この灌頂によって
密教の奥義がすべて伝授され
弟子を持つこと(教師資格)が許される。
また、密教においては仏典だけに捉われず
口伝や仏意などを以って弟子を指導することが
できることになる。
更には、正式に一宗一派を開くことが
出来るともいわれ
それ故、阿闍梨灌頂、または受職灌頂ともいう。」
(ウィキペディアより)
「開壇とは…
密教で、伝法灌頂を行う灌頂壇を
設け開くこと。
その灌頂を授ける師僧は
開壇阿闍梨(かいだんあじゃり)と呼ばれる。」
(コトバンクより)
要は大切な重要な儀式を行うから
本堂も閉めているのですね
で、私、ここでモヤモヤしてきた
「さっきはさ、
一般の人でも誰でも入れる
浄土真宗の寺カフェに行ってきた
でもさ、
真言宗のこの護国寺は
せっかく来たのに
一般の私は入れないじゃん!
真言宗って階級を授けるために
”一般市民はお断り”するんだー!!」
と、なんだか怒っていたのでした。
いや?そのとらえ方
なんだかおかしいぞ?と
自分でも思いましたが
ここはこのモヤモヤに浸ってみるぞ!
と浸りました
浸りながら電車にのり
家について
浸り続けて…
そしたらね、
「別に真言宗が護国寺が
私を差別したわけじゃないよね
一般市民は来るな、という
わけじゃないよね
大変な修行を終え
弟子に指導してよい、と
みとめられる大切な儀式の日
ただその日に
たまたま私が来たから
仏像拝観できなかったんだよねー」
とすとんとおちてきました
中国に遣唐使で渡った空海も
修行ののちに
中国人の恵果(空海の師)から
「日本で正しく密教を伝えられる」と
阿闍梨の灌頂を受けたんだよなー
(ヲタク知識より)
そんなとき
「ちょっとすみませ~ん!
仏像見せてくださーい♪」
なんて言えないわな
反対の立場だったら
「はぁ?
今日は取り込んでおりますので
後日いらしてください」
と言うだろうし~
宗派違えど
人それぞれ
役わりが違うんだな
違うから
つながっているんだな
だからこれが○とか×とか
ではないんだな
と気が付きました
あぁ~
またジャッジしちゃってたなー
反省
今回護国寺の仏像は
拝観できなかったけど
「伝法灌頂戒壇」の日の
あの空気感は
感じることができた
寺カフェと同じ日に
護国寺に行けたから
きっと気づけたんだろうなー
なんて思いました
やっぱりまた護国寺、行ってみよう♪
そして
「伝法灌頂戒壇」の意味…
禅タロットセラピスト講師として
いろいろ改めて感じました
この感じたこと、大切にしながら
禅タロットセラピーを
受講生のみなさんに教えていこう!と
身を引き締めました
護国寺、入れなかったけど
行ってよかったな♪
(余談)
”正しくは金胎両部伝法灌頂(こんたいでりょうぶ・
でんぽうかんぢょう)という。
ここで「金・胎」とは
中期密教の宇宙的世界観を表す金剛界と
胎蔵界を意味する。”
って書いたとき
「おおおーっ!」と鼻息が荒くなっていました
やっぱりなんだか好きなのねぇ~