【②心拍確認後の異所性妊娠の疑い】

妊娠がわかっても、まず乗り越えるのは約2週間後の心拍確認という壁があります。
検査薬直後に病院へ行っても胎嚢という袋が見える程度で
「2週間後にまた来てくださいね」と言われ、おめでとうございます、とは通常言われません。

なので、直後には病院へ行かず1週間待ってから行きました。
その日は6週4日目で、心拍見えるかどうか微妙なところ。
祈る気持ちで診てもらったら、小さな心臓が動いてるのが見えました。
やったー!大きな第1関門突破~!と胸が高まりました。
内診を終えホッとしてると若い女性医師が子宮の絵を描いて
説明を始めました。

「着床しているのが普通は子宮の真ん中なのですが、ずいぶん左の方に見えましたもし卵管近くに着床となると、異所性妊娠(子宮外妊娠)になり、妊娠継続ができません。でもまだわかりません。来週、●●大学病院から教授が見える機会があるので一緒に診てもらおうかと思います。ご主人に一緒に来てもらってもいいですよ」

えっ、心拍確認できたのに、着床位置がダメだと!?継続できないかもって、せっかく授かった命を殺さないといけないの?と、目の前真っ暗な気持ちに。しかも教授が出てくる!?自分だけの判断じゃわからないってこと?とかいろいろ考える。

自宅に帰って早速「異所性妊娠」をぐぐります。
そのまま妊娠継続すると、破裂して最悪死亡とかの文字列を見る中、わたしと同じような体験をした女性がチラホラ居ました。卵管近くに着床と言われ不安だった人達が。
その後どうなったかの行く末をひたすら見ました。

そうすると、初期のエコーだとまだ正確な位置がわからず見間違いもある事がわかりました。
卵管に着床してたらもうアウトですが。
心拍確認したのに・・・前回流産したし、やっぱり40過ぎたらこんなに難しいんだ・・・まともに妊娠するってこんなに大変なんだ・・・理花の時は何事も一つも問題なく順調だったのに・・・と思いました。この1週間もまた不安でとても辛かったです。

次の診察は、夫も職場を抜け出してもらって付き添ってもらいました。

そして教授に診てもらった結果・・・

「ちゃんと真ん中に着床してるよ。今のところ異常は見られませんね」

なんとーーー!!

なんだよーーー!!

そして、何事もなかったかのように終わったのです。
なんだよ!見間違いかよ!よかったよ!!

夫婦二人で「よかった~」と涙声で安堵したのでした。

(続く)

明けましておめでとうございます。
これからこの胸に秘めてた数カ月間の怒涛の想いが長文で溢れ出ますので、お付き合い頂ける方は宜しくお願いします('ω')

 

さて、産休に入るまで残り3ヵ月半。
一度使ったベビー用品がどれだけ残ってるか引っ張り出すと、断捨離を始めたくなり、どんどん要らんもんをこの正月に捨て始めました。子供が増えるとまたモノも増える。つーか、動ける間は「今」しかない。
新しい命を前にしたら、過去に執着を捨てて綺麗さっぱり捨てたい気持ちがどんどん大きくなり、手始めに洋服からどんどん捨てる。(但しいつもダンスの衣装関連保存に悩む)
そしてこのお正月新たな発見が。
娘とずーーーっと一緒の休日だったが、苦にならなかった。片付けをしてても、作業の邪魔をしない来月4歳になる娘!時々相手をするぐらいで思うように作業が進んだ休日。
もーこれ1年前ならあり得なかった~(涙)
外食も然り、ここまで成長した!4年かかった!と本当に感慨深い気持ちに・・・。乳幼児期は、休日にずっと一緒に居ることが本当にきつかった、苦しかった。大変なのは今だけだよと言われても、またそれを経験するのはやっぱりゴメンだ・・・と何度も思った。それが、ココまで成長した~!!!もうー楽しい~!二人で時々ウフフの会話するのも楽しい~!!ビバ4歳女子!

で、その残り時間も出産するまで・・・。赤ちゃんとっても可愛いけど、産んでから最初の2週間は楽しかったけど、3週間目からこれはいつまで続くのか24時間以上離陸しない飛行機に乗ってる気分は・・・ていうやつが来るのか。
まぁ一度経験してるから、免疫ついてる大丈夫!とは思うけど、このわたしの行動の自由を感慨深く手に入れる為に4年近くかかったわけだから、それがまた4年後かと思うと、第2子を持つことを、ずーーーーーっと受け入れられませんでした(笑)周りが2歳差、3歳差で産んでるのを見ても、「あり得ない、あたしゃ無理」とずーーーーっと拒否ってました。高齢出産のリスクも怖かった。

なので、2度目の妊娠は思いがけずでした。それは今年の2月のこと。計画になかったので初めはショックだったし、3月の市民演劇祭出演の本番前でした。でもお腹に宿ったらだんだん嬉しくなるのが普通。受け入れて、全部頑張ろう!と思った矢先に心拍確認できずに流産。でも悲しみに向き合うヒマは無く、本番2週間前だったので、どうやったら舞台に立つことが出来るかを探ってました。妊娠継続でもダメでも舞台に立つことは決めてたけど、自然に排出できず全身麻酔で手術となると、どうにもこうにも方法論を見い出せず。でも、直後に赤ちゃん、自然に出てきてくれました。私の想いを汲んでくれたのかと泣きました。
そして、わたしが妊娠したことを最初受け入れられなかったから、流産してしまったのかと思ってしまいました
この子は何の為に一度宿ったんだろうと後々、何回も考えました。だから、今度子供を望むときは、ちゃんと考えてから授かろう、って思ったのです。

でもそれから数カ月、夫婦で答えは出ず。夫は欲しがったけど、日常生活が戻ると、わたしはやっぱり子供は一人だけでもいいかなと考えてしまったり。

でも・・・わたしがふと「これで授かったら神様の思し召しだから、まっいっか!」と思ったら3度目を授かったのです(笑)3月に去った子が戻ってきたのかなと。だからとっても嬉しかったです。

でも、40歳代の流産率は40~50%と言われます。
その後の妊娠初期は、今までと違った問題が次々と出てきました。

(続く)

【※絵日記】
赤ちゃん産まれたら、赤ちゃん産まれたら~に続く娘の未来予測の会話が日頃から止まりません。車の中でもよく喋り続けます。彼女の中で、可愛がってあげよう自分は我慢しようという想いと、でもママを奪われたくないという想いが日々交錯してます。

 

 

 

「靴が左右逆だった」とか「朝起きてパンツ脱いだらトイレに行くんだけどその前にお着換えしちゃった」」とか、そんな娘の世話で「今間違えたでしょ?」って3歳の娘にドヤ顔される日々です。

 

 

3歳1ヵ月の娘のアラフォーママと
6歳年下の夫の生活の記録です♪


数日振りにパパに逢うと
パパ大好きモード全開の娘。

パパ「ああ、りかちゃん」
娘「パパ!大好き!大好き!」

と抱きしめ合う二人。

でも30分後・・・

パパ「さー、りかちゃん、風呂に入ろう!」

娘「嫌だ!入らない!」

「りかちゃん、パパと入らない。
ママがいーもん、絶対パパと入らない。パパ嫌い。ママがいーもんね
ねー!ママッ」

と断固拒否!

パパ「さっき一緒に入るって言ったやん・・・・」

娘「パパ早く一人で入ってきて」

と冷たくあしらわれるのでした。


帰ってくる直後はラブラブなんですけどね

しばらくすると・・・・

パパより大好きなママが傍にいるから

娘最強!!!

娘の手練手管に振り回され・・・

翻弄されるパパなのでした(笑)
 

 

 

子供って、時々怖いな・・・と思う瞬間その①。

パパへの塩対応。

 

パパに言ってない

 

ママが居ないとパパに甘えてべったりなんですけどね・・・。

でもママが居る時の娘は最強。怖いもの無し。

 


 

これは2歳の頃の話ですが・・・

娘さんは、ママへの注意は容赦無し!

色々ご丁寧に指摘してくださいます。

 

小姑

 

ほんと毎回有り難うございます。

子育てはママの成長無くしては無し!

ですよねー。

 

3歳過ぎてから、娘なりの理屈や主張が、とても強くなってきたびっくり

怒っていてもその可愛い姿に呆気に取られる事も多く、こちらも笑ってしまったり。

でも親としても、ワガママをどこまで許していいのか、ここはしつけるべきか等迷ってしまうこともありの毎日てへぺろ

理不尽

 

 

 

 

今日から絵日記始めました。

20数年振りに描いてみた漫画。

 

その衝動は、子育て。

 

子育てのイライラ、モヤモヤを表現したくなって

突如ペンを取ってみました。

 

へたっぴだけど

 

スッキリしました。

 

だから、ぼちぼちやってみる事に。

 

これは、自分の為。

 

そして、忘れたくない想い出を

取っておきたい為。

 

手書きで写メという

アナログしかできない

アラフォーママの第1回目。


 

 

 

夫が不在で幼児と二人きりの休日。

(しかも予定が無し)

休日であって休日ではない~!

と育休中の時から思ってました。

いや、主婦になって子供を持った瞬間から

世間の休日が休日では

無くなってしまいましたヨネ・・・。