週末、Lotus Fastivalに行ってきたんです
うちから車で15分程のエコーパークというとっても、、、、って失礼かな、
治安はあまり良くない場所なので車では何度も通った事はありますが、
実際に車を下りて歩いたのは初めてでした。
こんな青空と緑と水に囲まれた美しい場所ですが、
公園1歩出ると、、、ってのがロサンゼルスなのね~^^
でもこうしてFestivalをやる時には
お巡りさんとか消防の人達が沢山待機しているんで、
それなりに安心して行けるんですよ。
公園には大きな大きな池があって、なんか、、、、鳥とかいます(笑)。
なんて鳥か名前は存じませんσ(^_^;)
そしてフェスティバルの主役はこの池の所々にいましたよ。
ビッチリΣ(・ω・ノ)ノ!
でも思ったより咲いてなくてあれれ?って感じ(゚ー゚;
それでね、やっと咲いてるのをめ~っけ
でもこれだけしか見当たらなかったんですよ(笑)
『宣伝に”偽り”あり』思ったけど(笑)、お店屋さんとかも出てたし、
それを見ながらブラブラも悪くないっしょ、思ってパーク内を歩き始めた。
青空にカラフルな出店。
見ているだけで陽気になりそうなのがカリフォルニアスタイルさ
こちらはKorean BBQのお店屋さん。
ジュージューと音を立って肉を焼き、
その香りを辺り一面に漂わせて人をおびき寄せていた(`∀´)
思ったより出店が多くて、何となく見ながら歩いていたら、
離れた池にまた見つけた。
こっちも言うほど咲いてはいなかったけど、
さっきの場所のよか蔓延っていた:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
綺麗だね~!とか可愛いね~!とか言いながら写真を撮っていたんだけど、
ここでふと疑問が湧いてしまった。
ここのお花は立ち上がっているのに、
さっきのお花は水面で咲いている。
お花の感じもちょっと違う。
後者のお花は不思議なつぼみみたいのを付けてるし。
これはまぁ普通な感じのつぼみなんだけど、
こんなシャワーヘッドもニョキっと出てるのね。。。。
しかも、これがつぼみなのかどうかも不明だ。
結局真相は分からぬままこのパークを後にしたんだけど、
やっぱり気になるからさっき調べてみた。
そしたらね、私が見ていたのは
蓮(ハス)と睡蓮(スイレン)の2つだったと判明。
睡蓮=水面で花、葉に光沢あり
蓮=水面より上で花、葉に光沢なし
ちなみに蓮根は、蓮の根ですって。
へ~、、、そうなのか~と思っていたんだけど、
またまた疑問が湧いて来た。
まぁ、今度の疑問はそんなに真剣な事ではないのですが、
私は仏教徒の幼稚園に通っていたんですけどね、
その時に、
”お釈迦さまは蓮の花の上にいる”
と教えられたんですよ。
でもでも、見てよ!
右の”蓮”の葉よりも、左の”睡蓮”の葉の方が
座りやすそうじゃない?
葉もなんかこぅ、、、厚めでしっかりして沈まなそうって言うか。。。^^
それでまたまた調べてみましたよー
そしたらね、私、ちょっと感動しちゃってホロリ(ノ◇≦。)
以下調べた結果です。
お釈迦さまの台座の花が、なぜ蓮の花なのか?
泥水が濃ければ濃いほど、蓮は大輪の花を咲かせます。
泥水とは人生におきかえれば、つらいこと、悲しいこと、大変なことです。
真水に近いようなきれいな水である場合、蓮の花は小さな花しか咲かせません。
大輪の花を咲かせるためには、ものすごく汚い泥水が必要です。
蓮の花は泥水の中からしか立ち上がってこないのです。
蓮の花とは、まさに人生の中で花を咲かせること、
そして、その花の中に実があるのが 「悟り」 です。
つらく悲しい思いがなければ、人間は悟ることがないのだ、
ということをお釈迦さまは教えたかったのだと思います。
人は 「悟る」 ことが出来れば、迷い苦しみはなくなり
まわりのこと、人、もの、現象が、
みんな 「幸せに思える」 ようになります。
★ お釈迦さまは、 美しい花を咲かせる為に泥は必要だということを
伝えたかったようです。
私たちはいろいろな悲しみ・つらさ・大変なことを経験しない限り、
悟ることはできないという教えです。そんな苦難な時が来たら、
「ああ、この結果として私は大きな悟りに、美しい世界に導かれていくのだな」
と思うことが大切です。そう思えれば、自分自身にとってものすごく嬉しく楽しく、
幸せで素晴らしいこと、そして、有難いことだと気が付いてきます。
それをお釈迦様は後世の人に伝えたかったようです。
その象徴として、蓮の花が台座に選ばれました。
※ 「悟り」 とは受け入れること。受け入れるためには3秒あればよい。
1秒目、過去のすべてを受け入れること。
2秒目、現在のすべてを受け入れること。
3秒目、未来のすべてを受け入れること。
「こうありたい」 あるいは 「こうあってはならない」 と思うことは、
そのどちらも執着ということにほかなりません。執着していることが、
自分にとってのストレスになり、ストレスが体を壊していくようです。
※ 悟りを開くとは「仏」すなわち「真理に目覚めた人」に成ることをいいます。
心の迷いが解けて、真理を会得することの意。
悟りの世界=迷いのない心の安住の地。
悲しい・つらいことを否定せず、悟るために必要なもの として受け止めると、
この経験が心を豊か にして、 いつでも幸せを感じ取る事が出来ます。
人の悲しみや苦労も解る豊かな心になります。
「心が豊かな人は、いつでも幸せです」
Source:http://www.tamano.or.jp/usr/tosinobu/sutekinahon/5.htm
一発目でこのサイトを見つけてしまった私は、
ちょっと感動して目がウルウル。
そしたらやっと気づいたのです。
お釈迦さまが蓮の葉の上?
睡蓮のが座りやすくね?
って・・・・・
アホ(゙ `-´)/!!
まぁ、ちょっとお勉強になっただけでも、
足を運んで良かったフェスティバルでした(^▽^;)
タイトルの”蓮フェスティバル”は分かり易いようにそうしましたが、
本当は冒頭にあるように”Lotus Fastival”です。
”Lotus”は、蓮と睡蓮の総称になります
ではでは皆さま、
ごきげんよう
本日もお立ち寄りどうもありがとう。
ぽちっとして頂けると嬉しいです。