こんばんは、もうこんな時間です。

「過ぎ行く時は流れる水の如し」



 「支える」と言う事がどういう事か、

寄り添う?、見舞う?、治療費を援助?

家事を代わる?、励ます?



 当時の私にはそんな事しか

思いつきませんでした。でも、1年に及ぶ

治療期間を共にし、大きすぎる気付き、

学びを得ました。



 とても1度に書き切れるものでは

ありませんので、機会の限り綴りたいと

思います。



 大切な隣人は、発見時ステージ2B、

入院での放射線とシスプラチンという

抗がん剤の同時治療となり、2週に渡り

治療を続けました。

しかし、3週目に入り、副作用がとても重く、

特に下痢で脱水症状が続くようになり、

本人の希望と主治医の判断がある意味

合致し、治療を断念という1つの結果に

至りました。



 主治医・看護師の方々からは、

「その時の事を考えておきましょうね」

…そう、死の宣告…



 原発となる子宮頸部のがんは、発見時

86mm、遠隔転移は認められないものの、

最も奏功の高い放射線とシスプラチン併用

標準治療で、ほぼ半分の期間治療を終え、

縮小したのは、



          僅か10mm



 効かない、効く以上に増大してる、

ステージ2Bにて、既に『死』が見える状況…



 ただ、言葉をなくすだけでした。




    でも、何故か悲観しない私がいました。

        何の根拠もない、理由なき自信。




 今回も長々とお付き合い、

ありがとうございます。