不思議な少年 レビュー 第1話 万作と猶治郎 | 2018年 本棚への旅

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年間200冊の本を読む活字とインクの森の住人、
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作:山下和美 「不思議な少年」ネタバレレビュー 

永遠の生を持つ少年は時を超え場所を超え、あらゆるところに現れる。
人間を愛しているわけでもなければ憎んでいるわけでもない。
ただ飽くことなく、人間を見つめ続けて、何度も問いかける。
「人間とは何か」と。

第一巻 第一話 「万作と猶治郎」2001年 週刊モーニング掲載

カラーページで旧約聖書の絵本の一ページから始まる。
土色の枯野の中で浅黒い肌の濃い巻き毛の少年が血の付いた大きな石を両手に抱え無表情な目で倒れているもう一人の少年を見下ろしている、
倒れた少年も彼によく似た顔、髪、衣服を着ているが、その目はうつろで手足はぐったりと力なく死んでしまっているようだ。


状況から石を持った少年が殺したにちがいないはずなのだがその表情には怒りも恨みも現れていない、淡々と小さな蟻でもつぶしたような顔で違和感満載である。
ト書きを読む「今日 僕は 汽車の中で本を読み 世界最初の殺人が 兄弟間でなされたことを知る」
この絵は旧約聖書のカインとアベルの説話なのだ、と読者は理解する。

頁をめくると見開きで、この本を読んでいる国民服の坊主頭の少年と、黒い丸首のセーターに金髪クセ毛の少年が汽車の椅子に並んで座っている。
驚く少年に「いかにも人間らしいおそまつな話さ」と平然と聖書を評する少年の横顔、そして「第一話 万作と猶治郎」と一話のタイトル。

汽車の中の乗客のうなだれた様子、彼等の衣服から、この汽車は疎開、いや、敗戦後の引揚列車であることを知る。
であれば尚更に外人にしか見えない一方の金髪の少年の存在が場違いに異様である。
が読者と坊主頭の少年以外にこのことをいぶかる者はいない。



二人に話しかける父親のセリフから坊主頭が兄の万作、金髪が弟の猶治郎であることがわかる、
猶治郎は万作にだけいきなり金髪の美少年に入れ替わったように見えるのだが、万作以外には何の違和感も感じてないようで、きっと今まで通りの同じような坊主頭の子どもに見えているのだろう。

読者もまだこの時点では何もわからない、誰が主人公で”不思議な少年”なのか?だが読み進むうちに、どうやら猶治郎の身に一時的に何か別の存在が憑依(降臨)していることが分かってくる。

少年はどんな大人よりも明晰で物知りで不思議な力(水の上を歩いたり、つぼみの花を開花させることが出来たりする)を持っている。
ただしそんな少年の力をもってしても命のあるものに力を及ぼすことは困難で大変らしく、結構気合を込めてもやっと一輪の桜のつぼみを咲かせることが出来るだけだ(そして、これは後の重要な伏線になっている)





永遠の生を持つ少年は、時を超え、場所を超え、あらゆるところに現れる。

人間を愛しているわけでもなければ憎んでいるわけでもなく、人間を救済したり罰したりするような干渉をすることも極力自粛しているように見える。

ただ彼なりの基準と価値観で、とある時代の特別な物事が起こる場所、瞬間に立ち会うことを望み、そこに現れるのだ。
その瞬間にその場に居合わせる、見つめ、当事者に、自分に問いかける。
「人間とは何か」と。

この物語は各話で時も場所も立場も変えて現れる不思議な少年が見届けた人間の記憶である。

第一話では兄弟の物語。万作と猶治郎は引揚げ先の父親の生家で暮らすようになる。
その家は広大な土地と家屋敷家財資産を有する地元の豪家であった。
兄弟の父親もその家の長男であり、旧家を嫌い都会に出たものの敗戦の憂き目にあい生家に引揚げたのだ。
家には出奔した兄に思うところのある弟、妹がおり、その父親:祖父は寝たきりの病人であった。
その当主、祖父は一代で身を興し、人心を牛耳り、非道なことも積み上げて、今の地位を築いた。





祖父は大事を成す前には必ず笛を吹いた。美しく鮮烈な音色が里に行き渡り、そして必ず凄惨なことが起きた、という。

近いうちに当主が病没するのは明白であり、その折りには遺産相続を巡って醜い確執が巻き起こるのもまた明白である。
冒頭のカインとアベルのように、何かよくない事が起きることは万作も読者も十分懸念できる。
物語は前作柳沢教授、のようなほのぼのとした雰囲気は微塵も無く、横溝正史の犯罪小説のような田舎の豪家の昏い欲望と恩讐にまみれた、別の意味でのヒューマンなドラマが繰り広げられる。

いまわの際の枕元で言い争う兄弟、やがて激高した一方が一方を手にかける、兄弟、嫁、妹が入り乱れ醜闘し混乱する。
その一部始終を隠れ、覗き視る万作と少年。驚き・軽蔑・・怖れ・・・哀しみ。

そしてカタストロフが突如訪れる。

豪雨により屋敷一体が山崩れによって押し流される。
家屋は倒壊し、醜く争っていた兄弟も泣きながらすがり押しとどめていた女たちも全て泥流が押し流す。

そして万作も同様に流れに呑まれるが、その時心に浮かんだのはこんな想いだった。
「そうだ、僕が望んでいたことは、いやなものは全部なくなれ、じゃない。」
「みんないなくなって 全部 僕のものになれ!!だ」



なんと正直でリアルな感情の吐露。そして表現される人間の本性。

万作が山崩れを起こしたのであろうか?否、
では少年が山崩れを起こしたのであろうか?それも否、
少年はそれが起こることを知っていいたのだ、
そしてその時その場所に奇跡が起こることを、
自分の問い「人間とは何か?」の答えの一つが現出することを。
だから少年は猶治郎の身を借りて現れたのだ。

少年の存在は時に悪魔のようでもあり、時に天使のようでもある。

万作は激流の中から天使の翼を生やした少年に空中に助け出され、空からカタストロフの惨状を望観する。

読者は万作とともに更にこの後の展開に、山下和美の語り部としての天才に驚くだろう。
泥流の上にもう一人奇跡的に助かった人間がいる。
不思議にも一枚の畳が舟のように水に浮かび、その上に人を乗せて流れを下っている。

そのたった一人の生存者はあの瀕死の病人、万作の祖父、当主であった。
痩せた肋骨をはだけた病衣の下に覗かせて亡者のように乱れた髪を風に嬲らせているが意外にも寝たきりの体躯は精気を取り戻したように一心不乱に横笛を奏でている。
その表情がスゴい。哭いているような嗤っているような表情、目。
そこには威厳も正気も欠片も無い。
ただ笛を吹き笛と一体となった人外の化生、だがこれこそが人間、
といった戦慄すべきコマだ。

そしてあろうことか、その笛の音によって泥流の両岸に残った山々の枯れ桜に花が咲き開き始め、間もなく真っ黒な濁流の両岸に満開の桜並木が現出する。
そして笛の音だけが無音の世界に響き渡り、老人の後ろ姿が小さく消えてゆく。



その光景を空から唯一、生あるものとして目撃しているのは万作と少年。
その表情もまた複雑で深い。
喜びでも感動でも悲しみでもない。ただ心が震えているという姿だ。
もっと言うと、
「これだから人間って存在は。。。。。降参だ。完敗だよ」
といった気持ちだろう。神の視点での神の感服である。

こんな文章でお解りいただければ嬉しい。
この物語は、この後の物語でもこの少年のこの感情。神の降参、とでも言うべき不思議な感動を読者にもたらしてくれるはずだ。

このような長文、駄文を読んでくださった皆さまありがとうございます。
皆さまのご感想をお待ちさせていただきます。
もしお気に召していただければ2話以降のレビューにも挑戦させていただきたい。2話以降にも1話に負けず劣らず、特筆すべき物語が累積されている。
自分だけが知っているのがもどかしいくらいだ。
では、その機会を楽しみに、僕も人間の不思議を味わいに夜の巷に出かけることにします。バイバイ。