湊かなえ 未来 | 2018年 本棚への旅

2018年 本棚への旅

年間200冊の本を読む活字とインクの森の住人、
ピロシキ亭のシロクマおじさんの読書録です



#未来 #湊かなえ  445頁

「告白」から10年。
嫌ミスの女王、湊ワールドの集大成!なのだそうだ。

重厚な黒の地に金の箔押しのタイトルで「未来」そしてこの宣伝文句が赤の帯に白文字で読者を挑発する。
手に持つまでもなく445頁のこの本は重さだけでなく内容もずっしりと重いことを想像させる装丁だ。
作者と出版社の集大成、にかける気合いが伝わってくる。が、しかし、この手の気負いはしばしば空転してしまうのも世の中の皮肉な真実でもある。



僕は「嫌ミス」とか「嫌ミスの女王」とかというコピーは好きじゃない、
また、このコピーで本を売ろうとする出版社も書こうとする作者も、なにか読者とか現実の弱者を或る種の側面でひと括りにして類型化しているような気がする。
「こういうの、みんななんだかんだ言ってスキでしょ?」的に・・・・確かにスキなんだけど。。。。

もし湊さん自身が自分を「嫌ミスの女王」というキャッチコピーを本心から嫌イじゃなく使っているのだとしたら、
自分の気持ちに正直に向き合うか、早々にこのノレンは降ろすことを考えたほうが良いと思う。



以下ネタバレ感想と物語構成の解説です

この物語は2重(2側面)の構成になっていて、
前半は主人公の少女が小学生から中学生に成長する期間を舞台に未来の自分へ書く手紙の文面と、その時折々の彼女の日々の報告と心情の独白からなっている。

主人公、章子には癌で入院し死別する父親と、美しいが精神的に壊れている母親が唯一の家族だ。
小学校5年の春に父親が死んで失意の底にいた章子に一通の手紙が届く、
内容は20年後の自分から今の自分にあてた届いた手紙で、
「小5の今は自分は父親を失って人生で最悪どん底と思っているかもしれない、だが未来の自分は夢をかなえ充実して生きている、だから今に絶望せずにがんばって!」
というものだった。

手紙に励まされた幼い章子は必死に生きてゆく、精神的に危うい母親と二人きりで・・
手紙に返事を書きながらなんとか日々を立ち直らせてゆく様子は応援を送りたくなるほど健気で愛らしい。
作者も今回は嫌ミス返上で人情深い物語を書いているな・・・と一瞬安心したが作者も世の中も甘くはなかった。

創り出した小さな充実した世界は、一瞬先で無残にも突き崩される。いじめや家庭崩壊や虐待といった不幸・不遇がこれでもか!これでもか!!というぐらい次々に襲い掛かる。
まるで不幸のスクランブル交差点(atハロウィン渋谷)、不運の10周年バーゲンセールである。
他の方のレビューでは「あまりの酷さ、悲惨さに気持ち悪くなった、吐きそうになった・・・」という声が多々寄せられているが確かにその通りだと感じたし、
これからこの本を手に取ってみようという方は一考し、覚悟を固めてから読み初めたほうがいい。

本の第1部では小学校から中学3年生までの章子の一人語りで激流下りの人生が語られ、やがて迎える重大なある事件で部を一旦終える。

そして第2部では、章子の級友の立場から自分と章子を語るパート、章子の小学校の担任の先生から語るパート、
そして遺品の中から出てきた父親が遺した原稿により章子の境遇につながる両親の過去を語るパート、
とそれぞれの章で視点を変え、章子の不幸を他者の目から見つつ、加えて語り手本人の不幸で悲惨な物語が補填される。

この第2部も湊さんの独壇場的な読み手を離さない文章の圧力と嫌ミステリの怒涛の連続攻撃にイッキ読み必至なのだが、正直ここまで刺激性の強いネガテイブなエピソードを積み上げられると、これらを夢中になって摂取する自分と、ナニやってんだか・・・と冷ややかな目で呆れる自分に2分化されてしまうようだ。

出てくる大人がことごとく駄目男、モンペ、毒母、無責任教師、小悪党ばかりになってしまっていて、作者の世の中への
ヘイト意識さえ鼻につくようになる。
この極端すぎるバッドシチュエーションは読者には逆にこの本の世界の非現実感を増して受容させる効果を与えるようだ、



キャッチコピーの「10年の集大成」だというのであれば、こういう本の作り方は間違っている。
「これは嫌ミス・アトラクション、嫌ミス・ファンタジーなのだな・・・」と食傷してしまう効果を受けるのだ。

終章ではようやく物語は第一部の章子の事件の続きに戻り、ここで一縷の希望の光を示唆して終幕となる。
作者的にはこのエンディングでタイトル「希望」への難着陸と、嫌ミス看板作家からの脱皮を図ったようにインタビューに答えているが、これまでの攻勢が立て続けで、あまりにも不幸の全部載せラーメンのように厳しかったので自分には肩透かしというか、呆気に取られてしまった。
この終章が営業目標のノルマ達成の報告、というか、夏休みレポートの無理筋な結論パート、の様に感じてしまって脱力したのだ。

物語を読ませる力、リーダビリティは確かに無類無双のものがある。
445頁の本の厚さを感じさせず、読者に本を閉じさせない磁力、一旦本を閉じ栞紐スピンをかけ替えるときの、もうこんなに読んだのか・・・?という驚きはこの本ならではの力だろう。
だが、その読書的関心が単なる人の不幸をよろこんで覗き見したい、という欲求だけで成り立ってはならないと思う。

もっと人々が助け合い、大人は子どもや弱者にも手を差し伸べ、友情はやはり最後の救いになるという物語。
運命は悲運ばかりではなく、大変だけど、世の中捨てたもんじゃない、と最後には言える物語。
そんな物語を湊さんに望むのは間違っているだろうか?