両国散歩 | 食べて、旅して、恋をして♡

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楽しいこと美味しいことが大好き。

行ったお店、神社仏閣、イベント、旅行記の事について、マイペースに記憶していこうと思います。

まだまだ続くお誘う🚶‍♀️

回向院 えこういん

浄土宗のお寺のようです。

回向院は、1657年に浄土宗の寺として両国に創設されました。この年、江戸史上最悪とも言われる惨事、明暦大火で江戸の町の半分以上が焼失し、約10万人以上もの人々が命を落としました。そのほとんどが、身元不明や身寄りのない人々だったため、遺体は引き取り手がおらず放置されていました。そのため、徳川第4代将軍の家綱公はこうした無縁の人々の遺体を手厚く葬るように命令を下し、万人塚という墳墓を立て、無縁仏を供養させました。

そしてこの地に寺が築かれ「諸宗山 無縁寺 回向院」と名付けられました。


命あるすべてのものへ仏の慈悲を説くという理念のもと、ありとあらゆる生命の埋葬と供養をしています。開創以来、火災や震災などの災害や空襲で亡くなった方々はもちろん、遊女、水子、水死者、焼死者、刑死者の供養も行ってきました。また、その対象は人だけではなく、犬や猫などのペットやあらゆる動物をも対象としています。

近くには吉良邸があったため、江戸時代には赤穂浪士の討ち入り後の集合場所とされました。しかし、関わりたくなかった当時の住職は門を開けさせなかったと言われています。







大高源五句碑


江戸時代の元禄年間に江戸の町を賑わせた「赤穂浪士」の四十七士の一人、大高源五が詠んだと伝わる俳句の碑です。大高源五は、赤穂義士の吉良邸討入りの日を決定づける重要な情報を入手したと言われています。俳人でありお茶も嗜んでいたことから、吉良上野介義央の在宅の日の情報を、上野介のお茶の師匠の山田宗偏から入手したのです。墨田区両国の両国橋児童遊園の敷地内に、「日の恩や 忽ちくだく 厚氷」の歌が刻まれています。

少し離れた所には↑

力士像もたくさんありました👏




庭園や

博物館など、、、

築地本願寺慈光院


横綱町公園




この公園には「東京都慰霊堂」や「復興記念館」も存在しています。
そのいずれもが、この公園の歴史を物語っています。
大正11年(1922年)、東京市は陸軍被服廠の移転に伴い、
跡地を買収し公園の造成を進めていました。
その最中に発生したのが、翌12年9月1日の関東大震災。
このとき、この界隈の人々が被服廠跡に避難しましたが、
運び込まれた家財道具を伝って火が広がり、多数の焼死者が出ました。
東京市では、これらの遭難者の霊を供養し、さらに東京を復興させた大事業を記念するために、
公園内に震災記念堂(現東京都慰霊堂)と復興記念館を建てられたそうですキラキラ