『気がつけば認知症介護の沼にいた。

  もしくは推し活ヲトメの極私的物語』

  (畑江ちか子著   古書みつけ)

 

 

 

畑江さんが働いているのは「グループホーム」。

 

利用者は、程度の差はあれ全員が認知症です。

 

認知症の診断がないと入居できない決まりで、少人数の静かな環境下で認知症の進行を遅らせつつ、できることは自分でやってもらうという、自立支援を目的とした介護施設です。

 

 

褥瘡(じょくそう)の処置に震えました。

 

 

褥瘡というのはいわゆる床ずれで、体重などで圧迫されている部分の血流が悪くなり皮下組織が壊死(えし)し、傷になってしまうものだ。

 

かかとは仰向けで寝ているときに圧迫されやすく、褥瘡が非常にできやすい。

 

進行すると患部は深い穴が空いた状態になり、背中などの皮膚面積が広い箇所になると、大人の拳が入ってしまうほどのポケットが形成されてしまうこともある。

 

なので、褥瘡は初期の段階で発見し、進行を食い止めることが大切なのだ。

 

 

トミさんの褥瘡は、5段階で言えば3くらいの進行具合だった。直径3センチほどの穴が、かかとにぽっかりと空いている。

 

血とか傷がダメな私は、それを見たとき、「うわ、マジかよ...」と気が遠くなった。

 

 

しかし、お嬢様がお怪我をされているのに、弱音を吐くようなメイドにはなりたくなかった。

 

私は必死で気を落ち着かせながら、椅子に座っているトミさんの左足を持ち上げ、傷口に薬を塗っていた。

 

 

「あーーーーー!!」

 

 

そのとき、突然お嬢様が叫んだかと思うと、私の左頬に落雷のような衝撃が走った。

 

そして、目の前に見える満天の星。

 

子どもの頃、母の田舎で見た星空よりも、たくさんの星が見えた...私は、トミさんにビンタされたのである。

 

 

私は燃えるように熱い左頬をそのままにしながら、「た、大変失礼いたしました...」と、゛お嬢様゛に謝罪した。

 

そして、ソットソット、彼女の表情を見ながら処置を進めていった。

 

 

 

 

施設の方がおこなっている、家族向けの゛名演出゛も明かしてくれています。

 

 

名演出その1

家族が持ってきた新しい服を、次の面会時には必ず着せておく。家族はそれを見て、だいたい「あ~、ちゃんと着せてくれているんですね!」というような反応をする。

 

ちなみに普段は、生地が伸びなかったりデザインが凝っていたりなど、着せるのが面倒な服はタンスの奥にしまい込んだまま。

 

 

名演出その2

家族が「母に食べさせてください」と差し入れてきたお菓子を、あえて利用者の口の端にちょこっとだけつけておく。

 

面会に来た家族がそれに気がつくと「ついさっきまで、前回持ってきていただいたお菓子を召し上がっていらっしゃったもので...すみません、急いでお連れしたものですから...」とアセアセしながら利用者の口元を拭う。

 

ちなみに普段は平気で提供し忘れ、消費期限切れになって捨てたりすることも多い。

 

 

名演出その3

家族が面会に来る時間がわかっている場合は、あえてその時間に利用者を散歩に連れ出す。そして施設の前で、偶然を装いバッタリ鉢合わせさせる。

 

家族はだいたい、「お散歩に連れて行ってくれてたんですね~」というようなリアクションをする。

 

ちなみに普段は、基本的にずっと椅子に座らせたまま。

 

 

 

面会に行くと、祖父はいつもきれいな服を着ていた。

 

それは施設の職員さんたちが時間に追われながらも、私たちが来る前に一生懸命着替えさせていてのかもしれない。

 

 

しかし、私たちはそんな苦労を想像もせず、ただただ当たり前に「おじいちゃん、元気そうで良かったね」と話ながら帰り道を歩いていた。

 

そして、翌日からまたなんの心配もなく、仕事に出かけることができていた。

 

 

゛親や身内を施設に預ける゛ということに対し、後ろめたく思ってしまう人は少なくない。

 

様々な家があると思うが、最期まで家にいさせてあげられなくてごめん...そんなふうに思う家族に対して、「でも、ここでなんだかんだ楽しくやってるみたいね」と思わせてあげるのは、果たして悪いことだろうか。

 

たとえ現実が伴っていなかったとしても、現に私たちは祖父の様子を見て、いくらか気が楽になったものだ。

 

 

 

そして考えさせられたのがここ。

 

 

事務職をしていた20代の頃、自分の人生についていろいろ考えたことがある。

 

そして至った結論は、「私はおばあさんになってもオタクだろう」だ。

 

この世には一生をかけても読み尽くせないくらいの本があるわけだし、映画だってたくさんあるし、まだ知らない音楽もいっぱいあるし、ゲームも、アニメも、漫画も、新しい作品が次々に登場する。

 

そして、今の推しが素敵なのは一生変わらない事実だ。

 

何歳になっても、映画や音楽で興奮したい。死ぬ直前まで本を読んでいたい。おばあさんになっても、乙女ゲームでときめいていたい。

 

・・・たぶん、私の一生はそんな感じになるだろう

 

そう思っていたのだが、介護の仕事に就いてその考えが変わった。

 

 

介護の現場では、「その人が昔好きだったこと、得意だったこと、続けてきたことに取り組める機会を提供する」という支援がしばしばなされる。

 

 

それは洗い物や料理、洗濯、庭木の剪定などといった、「本人が得意で、なおかつ周囲からも感謝されること」と、

 

塗り絵やちぎり絵、漢字の書き取り、計算問題、読書など、「本人が好きで没頭できること」のふたつに大別される。

 

 

利用者が意欲をもってくれることが大事なので、ここでは本人の好き嫌い・向き不向きを重視する。

 

いつも塗り絵ばかりやっているから、たまには家事も手伝って下さいよ、と得意でもない料理を無理やりやってもらうようなことは、少なくともうちの施設では良しとされていなかった。

 

 

そうしたケアの様子を見て、ド新人だった頃の私は、「もし自分が歳をとって施設に入ったとしても、死ぬまでずっと乙女ゲームをして恋愛小説を読んでウハウハできるんだなぁ・・・」と思っていた。

 

 

しかし、その数か月後にはまた新たな現実を知ることになる。

 

認知症の進行や体の衰えによって、自分がかつて好きだったこと・得意だったことができなくなるパターンが、あまりにも多いのだ。

 

 

昔は石原裕次郎の追っかけをしていたのに、今ではその”推し”の写真を見ても、誰だかわからない様子のミエさん。

 

田端義夫のファンだと家族から情報をもらったので、試しに曲を流してみたが、なんの反応もなかったトミさん。

 

川端康成や谷崎潤一郎の文庫本のページを破って、懐紙代わりに使うようになったキノコさん。

 

 

・・・・・50年後、私はどうなるだろうか。

 

推しの顔を見て、「誰?」と言うようになるだろうか。認知症になって、ゲーム機の使い方がわからなくなるだろうか。

 

老眼が進めば本を読むことも億劫になるかもしれないし、そもそも文章や言葉の意味が理解できなくなれば、読むことさえ習慣から消え去ってしまうかもしれない。

 

アニメや映画などを楽しむための集中力だって、そのときまであるかどうかはわからない。

 

 

高齢者になると高音域が聞きとりにくくなるので、私が大好きなハードロック・ヘヴィメタルのカミソリのようなシャウトや、繊細なメロディラインを聴かせるギターの音色も、今のようにちゃんと聞きとれなくなってしまうかもしれない。

 

 

私は家事が得意ではない。好きでもない。料理も洗濯もまるでダメである。生き甲斐と言えば推し活、オタ活しかないのだ。

 

いったい、私は何歳までこんな生活ができるのだろう。

 

いつまで、二次元に本気でいられるのだろう。

 

 

2040年は、第二次ベビーブームのときに生まれた団塊ジュニア世代(1971年~74年生まれ)がすべて65歳以上の高齢者になる年で、同時に日本のその高齢者人口が過去最大の約35パーセントに達すると言われている年である。

 

また、このような超高齢社会になると、労働力人口が減少し、あらゆる業界が人手不足になるだろうと推測されている。

 

 

「2040年問題」と言われるこの年以降も生き続けるであろう私は、果たしてどんな高齢者になっているのだろう。

 

ちゃんと”老人”として余生を送ることができるのだろうか・・・・老人になることさえ許されない世界が、待っていやしないだろうか。

 

 

まぁ、暗い予想の答え合わせは長生きしてしまったときにすればいい。今はただ、目の前のことを毎日一生懸命やるだけだ。

 

今日は貴重な休み。私はこれから、全力で乙女ゲームをプレイする。

 

 

 

 

 

 

畑江さん、立派です。

 

介護の世界に飛び込んだ理由として、慢性的な人手不足に悩まされる介護業界の、その一員となり、業界を内側から支えたいと考えたのが一つ。

 

もう一つは、「ある日突然、聖飢魔Ⅱの皆さまが入居してきても、慌てたり戸惑ったりせず、最適なケアを提供できるような介護士になりたい」と思ったからだそう。

 

 

確かに。頭いい。

 

憧れのスターやあのやんごとなきご一家とリアルな世界で出会うには、医療従事者しかない。

 

なるほどねー

 

 

介護の現場は余裕がなくて心がすり減っていくのでしょうが、畑江さんがいつまでも今の畑江さんでいられますようにキラキラ