『懲役病棟』

(垣谷美雨著 小学館)

 

 

 

あとがきで元厚生労働事務次官の村木厚子さんが書いています。

 

この本には3つのリアルがあると。

 

「罪を犯す人のリアル」、「刑務所の中の暮らしのリアル」、そして「世間のリアル」です。

 

 

 

世間のリアルの代表は、医師会の持ち回りで半年間の約束で女子刑務所の常勤医になった、医師の太田香織です。

 

三度の食事はもとより医療費までもが税金ときている。本当に腹が立つ、で始まります。

 

 

 

刑務所の中のリアルは、外からの手紙を待ちわびる姿や食事と一緒に甘いものがでたときに喜ぶ姿。

 

 

そして罪を犯す人のリアルは、相部屋の4人が万引き、殺人、覚醒剤、放火の罪で服役しているそれぞれの事情で描かれます。

 

 

 

太田香織は不思議な聴診器でそれぞれが罪を犯すことになった事情を知ります。

 

聴診器を胸に当てるとその人の心のつぶやきが聞こえ、ここへ来るに至った様々な場面が目に浮かぶのです。

 

 

 

 

不倫した夫から逆に家を出て行くように言われ、現金30万円を渡されて人生が狂った55歳の清子。

 

総菜を数点盗んだだけなのに3回目の累犯となると執行猶予もつかなくて、2年の懲役中です。

 



 暴力夫を刺殺した美帆。刺し傷が15センチにも及ぶ深さで、何度も刺していることから、確実な殺意があったと判決が下った。

 

テレビドラマの刑事ものや法医学ものを欠かさず見るような人にとって、刺し傷の深さや刺した回数が分かれ道になることは常識中の常識だと、後になって知った。

 

だけど私は普段からほとんどドラマを見ないので、そんなルールがあることも知らなかった。

 

 

ああ、どうせ殺すなら徹底的に過去の殺人事件の判例を調べるべきだった。何度も頭の中で段取りを反芻(はんすう)し、完璧にやり遂げればよかった。

 

刺し傷をなるべく浅く、刺す回数も少なくして致命傷を負わせる方法を研究し、練習もやればよかった。

 

しかし、どんなに頭の中でシミュレーションを重ねたとしても、いざとなれば冷静ではいられなかっただろう。

 


あのときだって必死だった。私より20センチも背の高い夫に庖丁を取り上げられでもしたら、いくら夫が酒に酔っていたとはいえ、私の方が刺殺された可能性は高い。

 

背の高い人は腕も長いから小柄な人間を刺すのなら簡単だ。

 


結局のところ、刑期は5年になった。執行猶予はつかなかったものの、情状酌量(じょうじょうしゃうりょう)の余地があるとされた。

 

 

 

覚醒剤で服役中なのは山田ルルです。

 

その両親の会話。

 

 

「私はね、母親になんかなりたくなかったのよ。結婚もしたくなかった」

 

「おい、いい加減にしろよ。結婚したくなかっただと?そういう言い方、俺に失礼だろ。人前で恥かかせやがって。だったら何で俺と結婚したんだよ」

 

「そうしないと普通の女だと認めてくれないからだよ」

 

「は?誰が認めてくれないんだよ」

 

「世間だよ。親戚連中だよ。親兄弟だよ。日本の社会だよ。周りの人から、『まだ結婚しないのか』『子供はまだか』って聞かれ続けるのが鬱陶しくてたまらなかったんだよ」

 

「はあ?お前はそんな理由で俺と結婚したのか?ルルを産んだのもそんな理由なのかよ」

 

「私は若いころから子どもが大の苦手だったんだ。だけど、みんなが寄ってたかって言ったんだ。『そのうち可愛くて仕方がなくなるよ』『母親っていうのはみんなそういうもんなんだよ』って。だけどそうはならなかった。私は母親には向いてないんだよ。妻にも向いてない。一人でいるのが一番いいんだ」

 

「何をいまさら。23で結婚したくせに。仲間内じゃあ一番乗りだったじゃねえか」

 

「あの時代の若い女はみんな世間に脅かされてたんだよ。早く結婚して子供を持った方がいい、そうじゃなきゃきっと後悔するって、子供の頃から周りにさんざん言われ続けて育ったんだ」

 

 

ふっと夫婦の会話が途切れたので、私は尋ねてみた。

 

「ルルちゃんにお祖母さんの世話をさせてたと聞きましたけど」

 


「だよなあ」と、父親がまるで他人事(ひとごと)のように続けた。「まだ小学生だったルルに祖母さんの介護をさせたりして、そういうの、今だったらヤングケアラーっていうんだよ」

 

「そのことは本当に申し訳なくて、ルルに土下座して謝りたいと思ってる。いまだに夢にまで出てきて夜眠れないことも多くて・・・」

 

「今さら遅いよ。まったく、どうしようもない母親だな」

 

「あんたは何ひとつ手伝ってくれなかったじゃないか。そもそも、あの婆(ばあ)さんはあんたの実の母親なんだよ」

 

さっきから、母親は正面を向いたまましゃべっている。一瞬でも夫が視界に入ることが嫌なようだ。

 


「男の俺がお袋の下の世話なんかできるわけねえだろ」

 

「私は電子部品の組み立て工場で働いていたから、お祖母ちゃんを介護する時間が取れなかったし、この人は・・・こんなこと本当は言いたかないけど、稼ぎが少なくて」

 

「なんだと?いい加減にしろよ。こんなところで何度も恥かかせやがって。お前はカネで男を判断するのか」

 

「稼ぎが少ないのを馬鹿にしたんじゃなくて、つまり私も働かなきゃ食べていけなかったってことを言いたいの。介護も家事も育児も全部私一人の肩に伸(の)し掛かってて、疲れ果てて毎晩布団に入ってから泣いてたんだよ。そしたらルルが誰に似たんだか優しい子で、いつの間にか私を手伝ってくれるようになって、だからついつい甘えすぎてしまったんだ」

 

「馬鹿馬鹿しいったらありゃしねえ。どこの家でも嫁っていうのは、それくらいのことはやってんだろうがよ」

 

「父親のあんたにはわからないよ。母親っていうのはどこまでも忍耐強くなきゃいけないし、自分のことを後まわしにして当然で、その枠から出たら叱られる。私はね、離れていてもルルのことがいつも頭の片隅にあるんだよ。私のせいだ、私が悪かったんだって、死ぬまで罪悪感でいっぱいの人生だよ。そこいくと、あんたは気楽でいいよねえ。何でもかんでも私のせいにして、自分には関係ないって顔していられるんだから」

 

「なんだよ、その言い方」

 

「そもそもあんたと結婚しなけりゃ、あんたのロクでもない親兄弟とも知り合わずに済んだんだよ」

 

「それはこっちも同じだよ。お前のロクでもない親戚連中ときたら」

 

「よく言うよ。あんたが私の実家に顔出しただけで、気の利く優しい婿さんだっていつも言われてたじゃないか」

 

「そりゃそうだろ。わざわざ嫁の実家に行ってやってんだから」

 

 

夫婦の言い合いにキリがないと思い始めた頃、香織先生が口を挟んだ。

 

「ちょっとあんたたち、結局はルルの身元引受人にはなりたくないってこと?」

 


「私には無理だよ。おカネもないし、精神的にもつらい」と母親が答えた。


 

「お父さんはどうなの?」と香織先生が尋ねる。

 

「えっ、俺?」と、父親は心底びっくりしたように香織先生を見た。

 

「冗談だろ?男親には無理に決まってんじゃねえか」

 


「同居しなくても、金銭的援助だけでもいいんですよ」と、私は言った。

 

「ムリ、ムリ。だって俺、カネねえもん。だけど俺も、もう若くねえし、最近は腰が痛くてさ。だから老後の面倒だけはルルに頼るしかないんだけどさ」

 

 

 

 

品のある秋月梢(あきづきこずえ)は80歳。放火犯です。

 

 

夫を脳梗塞で亡くした後、離婚して戻ってきた娘と孫と住んでいたところに、娘が乳癌で亡くなり孫と二人暮らしに。


 

その中学生の孫が自殺した原因であるいじめをもみ消した教育長の家を、放火した罪。

 

 

 

 

世間代表だった香織です。

 

 

女子受刑者が罪を犯した原因のほとんどが、家庭環境や、悪い男たちと関わったことにあった。

 

犯罪者以前に犠牲者であることがわかり、彼女らの出所後の人生の厳しさを思うにつけ、なんとかして力になりたいと思うようになっていった。

 

 

 

 

 


私も全く同じです。

 

税金で食べさせてもらって寝るところがあてがわれて介護もしてもらえる...そう思ってました。

 

 

何の落ち度もない人を傷つけた人は別ですが、住む家と温かい食事と理解してくれる人がいたら、犯罪者にならなくてすんだ人も多いのですね。。

 

 

 

すごく勉強になりました。

 

視野を広げてくれた垣谷さんに感謝です。

 


 

自分、まだまだだったなーぼけー