『夜果つるところ』

(恩田陸著 集英社)

 

 

 

明けましておめでとうございます。

年明けすぐから胸が塞がる辛いニュースばかりです。

被災された方々が一日も早く元の生活に戻れますように。

 

 

 

 

 

この本の舞台は「墜月荘(ついげつそう)」、山間にある娼館です。

 

 

夜の底、昏(くら)い山の稜線の麓で館全体がひとつのランタンのように妖しい色に浮かび上がる。

 

レストランから流れてくる低い音楽。

 

コップががちゃがちゃいう音、ボウイたちの殺気だった声、野菜を煮る甘い匂い。

 

館は闇のなかで覚醒する。老いた水鳥の現実など現実ではないと、今の自分こそが本物の自分であると、自信に満ちた声で宣言する。

 

特に、月のない冴えざえとした冷たい夜の館は美しかった。

 

 

 

お話の語り手はビィちゃんと呼ばれている子どもです。

 

3人の母親、産みの母、育ての母、名義上の母と一緒に館で生活しています。

 

 

世の中は戦争に向かう不穏な時代で、お客さんの多くはカーキ色の軍服を着た男たち。

 

「交流部」へ行ったり部屋で何やら話し込んだり。

 

 

 

ビィちゃんは、子爵、笹野、久我原の3人に惹かれます。

 

 

笹野は作家。

 

 

「おじさんは何してたの」

 

「うん?おじさんは何してたんだろう。おじさんは」笹野はくるくると目玉を回した。

 

「おじさんは、呪いについて考えていた」

 

「のろい」

 

「うん。愛の言葉ともいう」笹野はしれっとそう言った。

 

私は面喰ったまま彼の顔を見ていた。

 

「そもそも、愛の言葉というのは実に強力な呪いなんだ。相手も縛るが放ったほうも縛る。最初のうちは縛りも心地よい。

 

どこかの国じゃ、産まれたばかりの赤ん坊の全身を、身動きできないくらいに布でキッチリと縛る。そのほうが赤ん坊も安心してよく眠れるらしい」

 

笹野は斜め上に煙草のけむりを吐き出しながらスラスラと続けた。

 

「だが、そのうちに赤ん坊もハイハイをしたくなる。心地よく縛られていた布が重い鎖にも感じられてくる。

 

呪いをかけたほうもかけられたほうも次第に呪いが重くなって、酸っぱくなって、じくじく腐ってくる。腐ったところから毒が回って、病気になる」

 

 

話の内容はちんぷんかんぷんだったものの、私はじっと聞いていた。笹野は私が聞いていようがいまいが構わぬ様子である。

 

「どこかですべてが反転する。その境目が知りたいなあ」

 

笹野は煙草をくわえたまま、子供のように膝を抱えた。

 

 

「ネ。お嬢ちゃんもよく覚えておくといい。愛の言葉なんかめったやたらと使うもんじゃない。呪いをかけるに等しいものなんだから、ネ」

 

笹野はフラリと立ち上がり、振り返りもせずにゆるゆると去っていった。

 

私はぽかんとその後ろ姿を見送った。

 

 

 

 

そして子爵です。

 

 

生きるというのは、すさまじいことだ。

 

子爵は、独り言のように呟いた。

 

誰もが生まれ落ちた瞬間から、ひたすら声高に、生きたい、生きたいと必死に手を伸ばして叫び続ける。

 

久我原や笹野や、ここに集まる女たちや男たちを見ていれば、彼らがそれぞれの人間の実態を生きているんだと痛感させられる

 

子爵はふと、宙を見た。

 

 

ところが、僕の場合、あるのは名前だけだ。どこに行っても、僕という人間は名前だけの存在なんだ。

 

僕の顔には、家という名のお札がペタリと貼られていて、人はそのお札しか見ない。そして、札の貼られた僕自身は、はりぼてだ。なんとも中身はからっぽで、フワフワして、生きているという実感に乏しいのさ。

 

子爵の目は、どこかを見ているようでどこも見ていない。

 

 

僕は実体を生きている人間に引け目を感じる。彼らが羨ましいのと同時に、彼らが恐ろしくてたまらない。

 

子爵は茶筅(ちゃせん)を手に取り、しゃっ、しゃっ、しゃっ、と慣れた手付きでお茶を点てた。

 

 

だから、僕にとっては死者のほうが優しいし、ホッとできる。彼らは額に汗して働くという経験のない僕をやっかんだり、軽蔑したり、非難したりしない。

 

何も言わないし、僕が生きていて彼らが死んでいる、という、ただそれだけの事実を伝えてくる。

 

 

ビィちゃん、ここに来てどのくらいになるのかい。

 

どのくらい…私は困惑した。実際のところ、自分がここに来てどれくらいになるのか、自分でもよく分からなかったのだ。

 

 

何回冬が来たかな。夏でもいい。

 

冬。夏。私はぼんやり繰り返すだけだった。頼りなく見えたのか、子爵の声が少しだけ苛立つ。

 

じゃあ、君は幾つだ。君は、自分が何歳か知っているかな。見たところ、十歳から十二歳、という感じだけれども。

 

 

私の不安そうな表情に気付き、子爵もふと不安そうな顔になる。

 

いや、無理に答えなくてもいいんだ。子爵は慌てて手を振り、湯気の上がる茶碗を私の前に置いた。

 

さあ、お茶をどうぞ。

 

 

 

 

 

語りてが子どもだけに、ビイちゃんがわからないところは読んでいるこちらもわからないままお話が進むのですが、最後に一気に謎が解けます。

 

 

そしてこの本は、恩田さんの別な本、『鈍色幻視行(にびいろげんしこう)』の作中作です。

 

なのでの、本をめくってすぐの恩田さんの名前と本のタイトルのページをめくると、また『夜果つるところ』と出てきますが、作者は 飯合梓(めしあいあずさ)、発行は照隅舎というページになり、頭が?になります。

 

 

『鈍色幻視行』も読まねばですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで年末年始は念願の奈良で迎えました。

 

ツアーです。

 

 

で、ものすごく後悔したことがありました。

 

長谷寺です。

 

ここは階段がけっこう続いて山の上に本堂があるのですが、途中同じツアーの白髪のご夫婦が手をつないで昇っていました。奥様がしんどそうです。

 

一瞬背中を押そうかなと思いましたが、触られるの嫌かもなと声を掛けないで追い越しました。

 

 

このことが時間とともにじわじわ締めつけてきたのです。

 

やっぱり声を掛ければよかった。断られなかったかもしれないのに。。

 

 

 

背中を押してあげてたら、すごく喜んでもらえたはず(妄想)

 

本堂から見ていた十一面観音菩薩様にも褒めてもらえたはず(妄想)

 

いいことしたから何でも一つ叶えてやろうと言われ(妄想)、次に買う宝くじ、バラの1セットすべて大当たりにしてもらって億万長者になれたはず(妄想)

 

バスに戻るとご夫婦からお礼にと、長谷寺のお守りをもらえたはず(妄想)

 

次の観光地で集合時間に遅れても、ご夫婦からはきっとまた誰か助けてるのねと勘違いしてもらえたはず(妄想)

 

実はほかのツアーのガイドさんの話を聞いてただけだったりする(事実)。だってうちのは添乗員さんだけのツアーだったから。

 

 

あー もう、絶対声かけるべきだった。

 

多分、次の訪問先ではあのご夫婦見かけなかったような気がするから、バスで休んでたかもしれないんだよね。

 

うー

 

 

 

で、このことは天啓となりました。

 

 

無駄に丈夫な体に生まれついたのは何のためか。

 

それは人を助けるため。間違いない。

 

 

頭痛もない、胃腸も弱くない、膝も腰も痛くない、関節も大丈夫。つまりは自分のためのではなかったんだ。

 

人のために使ってこそのこの体。

 

 

そうと分かればもう怖いものはない。

 

これからは遠慮なくバンバン行きまっせーグラサン